１
その赤いバンダナを引っ張ってから、フリックがそれがパーンだということに気づいた。
パーンは白い饅頭に食いついた恰好のままフリックを見あげてくる。口いっぱいに肉まんを頬張っていたために文句も悲鳴もあげられなかったらしい。
「すまん、鉢巻違いだ」フリックはすぐに手を放して軽く謝罪の身ぶりをした。
パーンが山のように饅頭積みあげて一心不乱に食ってるから、勘違いしちまったよ。よく見りゃ身体はでかいし、髪も黒だし。
そこに立ったままあらためて食堂を見まわし、同じような赤い鉢巻を探していれば、背後からぽんと肩を叩かれた。目を向ければビクトールが聳えている。
べつにこの男の背が高いというわけではない。パーン同様、がっしりとした体格をしているものの、目線の位置はフリックと同じぐらい、むしろ並んでいると、フリックが痩せて見えるぶん、こちらのほうが背が高いように思えるほどだ。けど、なんでだかこいつは、いつも聳えているという感じがするんだよな。
「なにやってんだ、おまえ？」と熊のような陽に焼けた顔をしかめてビクトールは訊ねてきた。
「人捜し」フリックはすぐにまた食堂を見まわしながら呟いた。「マッシュに言われてな……赤い鉢巻したやつ見てないか？」
「こいつじゃなくて？」ビクトールはかたわらで饅頭に埋もれている格闘家を示した。
パーンもまた振り仰いでくる。「俺がなに？」
「だから鉢巻違いだって。食ってていい」フリックは手を振った。「にしても、あいつは今日はどこでなにをしているんだか……」
「誰を捜してるんだっつの」ビクトールが苛々と再び訊ねてくる。
「だから鉢巻頭」フリックも面倒げに繰り返し答えた。
ビクトールは軽く吐息をつくと腰に手を当て、大きく声を張りあげる。「鉢巻ー！ はーちまーき！」
さすがにフリックは慌てた。「馬鹿、そう大声で言うなよ。だいたい、鉢巻しているやつがみんな振り返るだろ」
「じゃあ、そいつの名前は」
フリックは唇を歪めた。「軍師に呼ばれてるってことを、いちおうこっそり伝えなきゃならねえんだけど」
「だったら先にそう言えよ」
ビクトールが苛立たしげにフリックのほうへ指を突きつけたとき、食堂の横厨房の入口からひょこりと琥珀色の頭が覗いた。相変わらず黒の短いズボンに半袖シャツ姿で、本日はコートも着ていないものだから、まるっきり下働きの少年だ。
頭に巻いた赤い鉢巻を揺らしてぐるりと大きく食堂を見渡してから、少年――ラズロはまっすぐフリックのほうへと一定の足取りで近づいてきた。ビクトールが彼を振り返り、なんだこいつというような目で見おろす。
ラズロはそれに構わず、無表情にフリックを見あげてきた。「さっきから鉢巻って、ぼくのこと？」
フリックは腰に手を当てながら赤い鉢巻のまかれた頭を見おろした。「どこ行ってたんだ」
「いつもどおり皿洗いを」
「いつものことにするなよ」思わず出かかった怒声を抑えてから、フリックは厨房のほうへと顔を向け、今度はあらためて声を張りあげた。「レスター！ 手伝わせるなって何度言ったらわかる！」
厨房から白い上着と帽子をかぶった男が顔だけを突き出してきた。「厨房で誰が働いているのか、見ていられる暇があると思うんですか」といささか不機嫌だ。そしてそのまま忙しそうに奥へと引っこんでいってしまった。
「そりゃ、厨房はいつも混戦状態かもしれねえけど」
ぶつぶつ呟いたフリックに、ビクトールがやや身を寄せてくる。「人手が足りねえのか？」
「そんなはずはねえよ」
「来るはずの手伝いが来たり来なかったりだって」そう言ったのはラズロだ。
フリックは天井を仰いだ。「サボり魔が多すぎるな、まったく」
「ちゃんと管理しねえからだろ」と他人事のようにビクトール。
フリックは熊の頭を殴りつけた。「おまえが筆頭だ、馬鹿野郎」
「んなことねえぞ、俺が酒飲もうってときに限って仕事言いつけてくるのがいるだけじゃねえか」
ひたいと両手を突きあわせて力比べを始めたふたりを、ラズロが青い目で見比べてきた。「それで？」
「それでって？」フリックはビクトールの両手を押しこみ、だが、その途端に頭突きされてのけぞった。
ひたいを押さえて背中を向けたフリックに、ラズロは首を傾げてくる。「で、なんの用？」
「あ？」と肩越しに振り返りながらフリックは彼を捜していた用事を思い出した。「ああ、そうだ、マッシュが呼んでいる」
途端にラズロが、さらに無表情になってまっすぐ見あげてきたものだ。だが、無言。
だいぶ慣れてきたつもりだが、こいつを相手にすると、いつもこの間(ま)にぎくりとさせられるんだよな。
「な、なんだよ」とフリックはどうにか声を出した。
またひと呼吸ほどおいてから、ラズロはおもむろに告げてくる。「きみ、この城における業務連絡網、作成して提出」
は？ いきなりなんだ？
「なんで俺が」フリックはわけがわからないながらも反論してみた。
「マッシュもレオンも城内のことまで手がまわってないんだろう。きみが副リーダー」と静かに抑揚のない声でラズロは言うと、そのままフリックとビクトールのあいだを通って食堂の出口へと向かっていく。
その後ろ頭に、フリックは思いきり怪訝な視線を投げた。「おい」
だが、「明日までにね」と右手を軽くあげただけで、ラズロは振り返りもせずそのままの足取りで出ていってしまうものだ。
「なんなんだ」頭をかきまわしながらフリックは困惑して立ちつくした。
その横に立って同じように出口を見つめ、ビクトールがおもむろに腕を組む。「で、なにもん？」
「群島諸国の提督だよ」
「だから、なんでそんなのがいるんだよ」
「マッシュの要請」
「ふーん」納得はしていないが面倒なことは聞きたくないという態度でビクトールが顔をしかめる。
フリックはあらためて大きく溜息をついた。「でも、どうして連絡網なんだろうな、まったく？」
「おまえの報告が遅かったからだろ」と意外にも、ビクトールはいまの出来事を把握しているらしい。「厨房の手伝いするななんて文句言うより先に、マッシュの呼び出しを伝えるほうが優先じゃねえか」
「あ……」フリックはちょっとばかり背筋に悪寒をおぼえた。もしかしてあいつ、怒っていたのか？ 乏しい変化ながらも、かたーい無表情になったように感じたのは俺の気のせいじゃなかったのか。
だとしたら、ちょっとは反省してあとで謝りに行くかと考えはじめていれば、ビクトールがその太い大きな手のひらで、ばんと彼の背中を叩いてきたものだ。
そして容赦のないひとこと。「他国の将軍に注意受けてるんじゃねえよ」
「うっ……」絶句を咳でごまかしながら、フリックはのろのろと食堂の出口へと向かった。