１
家政婦求む
依頼主：キャロのゲンカク
わしはひとり女の子を拾って育てていたのだが、最近もうひとり、今度は男の子を拾った。
だが、育てかたがわからん。
飯を食わせても引きつけを起こすし――言っておくが、わしの手作りの麻婆豆腐だったのだぞ。女の子のほうは、うまいうまいと言って食ってくれるんだが……。
せめて飯の代わりにと、酒を飲ませたらひっくり返ってしまった。
この子が特別虚弱なのか、わしには判断つかんのだが、とにかくこういう子でも食べられるものを作れて、ついでに家の掃除などしてくれる人がいると助かる。
一見まともな依頼のようでありながら突っこみどころの判断に迷うその依頼書を、ラズロはいささか虚ろな目で眺めた。
「……で？」とようやく目の前、カウンターを挟んで立っている白いバンダナの三つ編み少女に視線を戻す。
クエストギルド総務会長ララクルは、にこにこと営業スマイルをたたえたまま、「行ってもらえませんか？」と脅しつけてきた。
いや、まじめにこれは脅しだ。そうでなくても、ララクルから依頼を指定して勧めてくることは滅多にない。
ラズロは無表情のまま彼女の視線をブロックした。だが、ララクルの笑顔はどんどん深くなってくる。
……仕方がないな。
ラズロはしぶしぶ、口をひらいた。「……遠い」
「大丈夫ですよ、きっとキャロにだって、おまんじゅうぐらいあるんじゃないかしら」
おまんじゅう。
……はっ、違う。
べつにおまんじゅうがあるからとか、そういうことじゃないんだけどと、ラズロはじっとララクルの三つ編みに視線を当てた。
どうしてこう、昔からの知人連中は、自分の顔を見れば、おまんじゅう、おまんじゅうと連呼するのだろう。
そもそも自分が好きな饅頭は、ほかほかと温かいあれだ。デュナンあたりの人たちの言う包子(パオズ)というものであって、爺ちゃん婆ちゃんが縁側でのんびり食べる甘い菓子のことじゃないのに。それに、あの地方で饅頭といえば、なにも入っていない小麦粉の蒸しパンでしかなかったはず。まあ、嫌いではないけれど。
ララクルはラズロの視線から隠すように三つ編みを背中のほうに撥ねあげ、その手を意味もなくぱたぱたと振った。「ほら、わたしは赤月中央部に支店を展開する戦略を練らなきゃならなくて忙しいし、この依頼をこなしてくれる人を探しまわる時間もなくて大変なんですよ」
ララクルが引受人を探してまわらなければならないということは、ようするに誰も引き受けてくれずに期限切れになりそうな依頼だということ。もしくは派遣した人間のことごとくが失敗しているということだ。
「………」ラズロは黙ったまま、さらにララクルを見つめた。
やがてクエストギルド総務会長は観念したように肩を竦め、「まあね」と溜息をついた。「ほんとはハイランド領なんて遠方、誰も行きたがらないっていうのが問題なんだけど」
「確かに、遠い」ラズロは頷いた。
ちなみに、いま彼女らが話しこんでいるのはグラスカ小国にあるクエストギルド支部だ。北大陸の地図を引っ張り出してみればわかるだろうが、本当に南の端っこに位置する小さな国。そしてキャロという町は赤月帝国の北。つまり、大陸の四分の一くらい北上しなくてはならないような距離があった。
そんな遠方から、どうしてここまで依頼が旅してこられたのか。特別重要な役職にいる人間からの頼まれ事というわけでもなく、依頼内容も単なる子守りだというのに。
またしばらく黙ってララクルを見つめていれば、やはり彼女は耐えきれなくなったように、「仕方がないわね」と両手を広げた。「この依頼料、手数料も全部まるごと渡すから。ついでにイルヤの竜ヒレ肉まん、一か月ぶんでどう？」
「よし」ラズロは反射的に頷いた。
……しまった。またやってしまった。
これだから、饅頭さえ用意すればどんな仕事でもやってくれるなんて噂が立つんだ。
いや、でも、やっぱり竜ヒレ入り肉まんは別格だろう。群島諸国を出てきて以来、滅多に食べられなくなったもののひとつである。
ただ気になるのは、饅頭一か月ぶんはともかくとして、手数料までまるごととは、いくら期限切れの依頼を出したくないとはいえ、がめついララクルらしくもないという点だ。
「赤字、覚悟？」
訊ねてみれば、ララクルはちょっとまじめに頷いた。「この家の子どもたちが心配なの」と彼女は依頼の文面を指でなぞってみせる。「引きつけを起こすような麻婆豆腐を常食しているようなお家で、しかもご飯の代わりにお酒を飲ませるなんて」
「それぞれ、家庭の事情というものが」
ララクルは両手を合わせてラズロを拝むようにしてきた。「余計なお節介かもしれないけど、このご家族にきちんとした栄養指導、してさしあげてくれると助かるわ」
「なぜ、そこまで」
「わたしの勘なんだけど、この依頼――いえ、この生涯の味覚喪失の危機に陥りかけている男の子には」ララクルはどこか宇宙の果てから届いてくるなにかの予言を聞くかのような虚ろな目をして、視線を遥か上のほうへと向け、両手はしっかり拳を握った。「わたしのクエストギルドの将来がかかっている。そんな気がするんです。ええ、そう、そうなのよ。これは必然にも近い運命の布石」
そのまま天井を見あげて微動だにしなくなったララクルだ。
ラズロはしばらく彼女のトランス状態が解けるのを待ってみたが、どうもなかなか交信が終わらないらしい。仕方なく洩れそうになる溜息を抑えながら依頼書を折りたたみ、ジャケットの内ポケットに突っこんだ。
鉢巻をいったん外して髪をかきあげてからまた鉢巻を結び、両腰の剣を確かめるように手を置いて、さらにグローブを交互に締めなおす。
全財産の入った鞄を肩に掛けると、ラズロは、「行ってくる」ときびすを返した。
そのとき、ようやくララクルが現実に戻ってきたらしい。背後から慌てて声をかけてきた。「あ、海路は避けたほうがいいですよ。〈リノ・エン・クルデス〉がこのグラスカ沖をうろうろしてるそうだから」
つまり、陸路を行けと……ウマにもトリにも乗れない自分だが、さすがに赤月帝国を縦断してキャロまで走るわけにもいかない。川船を買うか、かっぱらうかするしかないな。
少し足を止めて考えてから、ラズロは振り返らずに頷いた。「わかった」
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