マクドール家の家政婦

１

「なんだよ、その恰好」
「ティルの、要望」
　テッドの質問にラズロは淡々として答えた。
　マクドール家の家政婦はフリルのついた赤いワンピースを着て、同色のボレロと、その下には真っ白なブラウスに大きなリボンで胸もとを飾っていた。どこぞのご令嬢かという珍しい恰好で、靴はぴかぴかの赤いエナメル、そしてレースの靴下。白い布製の帽子は鍔が大きく、ぐるりと頭部を覆い、ピンクのストライプのリボンが巻かれて、ひらひらとした端っこは背中のほうまで垂れている。
　このあいだデートしてからというもの、ティルはラズロにいろいろと服の注文をするようになった。ラズロが自分の服にレースを縫いこんでやったのが、どうも気に入ったらしい。大抵、ラズロに贈る服にはフリルがついている。
　グレミオには内緒で、クレオにあれこれ買ってきてもらってはプレゼント。まあ、さすがに自分で婦人服を買いに行くだけの度胸はないので、クレオに頼むだけ頼んでサイズも知らないらしいんだけどな。また、クレオさんが積極的に協力しちまうもんだから……あの人はどうも、坊ちゃんで遊ぶことが楽しいらしい。
　そして坊ちゃんは、「明日着てみてくれ」と必ず頼んでいくから、ラズロはここのところ毎日、仕事しにくい服や靴にせっせと着替えているというわけだ。
　というわけで、家政婦が今日も可愛らしい恰好をして玄関で行ってきますと頭を下げて出ていこうとしていたところを、馬場から帰ってきたテッドが見かけたのである。
　それにしても、こいつが赤い服を着るのは珍しいもんだな。
　テッドは思わず出そうになった溜息を抑えた。「……で、そのバスケットは？」
　ラズロはそれをわずかに持ちあげてみせる。「ティルの、お弁当」
　ちらりと屋敷のほうを見やってから、テッドは顔をしかめてラズロに向きなおった。「ただでさえ過保護なグレミオに、息子のためなら権力濫用も厭わん親父もいて、クレオさんは基本的に傍観属性、パーンは――まあ、メシ食ってるだけだが、とにかく、おまえまで坊ちゃんを甘やかすなよ」
　そんなつもりはないとでも言いたげにラズロは眉を寄せる。
「……もういい、行ってこい」テッドは軽く手を振った。
「ん」と頷いて、ラズロはくるりときびすを返す。
　甘やかすなと釘を刺したものの、実際にはそれほどティルは甘やかされてはいない。グレミオの過保護ぶりがものすごく目立つからそうと見えるだけだ。ティルは基本的に身支度は自分でするし、学校の送り迎えはしばらく前からやめている。そして自由になった学校の帰りなど、家人が心配するような寄り道は決してしないところがきちんと分別のある少年というわけだ。
　もっとも、ラズロのお茶目当てにまっすぐ帰ってくるのが最近のライフスタイルなんだけどな。
　テッドは、とてとてと街路を行く家政婦をしばらく見送ってから玄関の扉を閉めた。
「さて、今日の昼飯はなに――」と独り言を呟き、だが、その途端、テッドは自分でその言葉を呑みこんだ。
　ラズロのお茶に懐いてしまったティルを笑っていられないじゃないか。なんで俺は最近、毎日マクドール家で昼食を摂ってるんだ？
　やべえぞ、習慣になっちまってるのがいちばんやばい。いまだって、ラズロが出かけたのをしっかり見送ったにもかかわらず、食堂に俺のぶんのサンドイッチぐらい作り置いてあると確信していた。
　だいたい、いまの独り言はなんだよ。俺は家族じゃないってのに……。
　思わず玄関ホールの真ん中でしゃがみこみ、溜息をついたテッドだ。
　と、その背後で玄関ドアのノッカーが鳴った。あんまりにもおそるおそるといった弱い叩きかただったので、おそらく厨房にいるグレミオには聞こえていないだろう。
　テッドはのろのろと立ちあがり、引き返してドアをあけた。
　そこにいたのは見たことのない小男だった。くすんだ色の上着に灰色のズボン。背中を丸め、手をこすりあわせておどおどとテッドを見つめてくる。
「ああ、すみません、こちらにオベルのかたがいるって聞きまして」
　オベル？　あのオベル王国のことか？　そりゃ、ラズロは群島人だが。
「……あんた、誰」とテッドは慎重に訊ねた。
　小男がまた手をこすりあわせる。「いやあ、海で世話になったもんなんですがね」
「海で？」テッドは顔をしかめた。「そうは見えないけど、あんた海賊か？」
　ラズロと海。そう聞けば大抵、彼女を知っている人間なら海賊の名詞が必ず脳裏に浮かぶ、はず。
　だが、小男は途端に冷や汗を吹き出しながら慌てて手を振った。「ととと、とんでもない！　そんな物騒な連中とは関係ありませんよ。はい、まったくもって」
　テッドはますます顔をしかめた。なに言ってるんだ、こいつ。「ラズロのほうが物騒だろうがよ」
　小男はぱちくりとまばたき、しばらく複雑な顔をして考えこんだらしい。
　だが、やがて上目遣いにテッドのほうを窺ってくる。「で、ええと、そのラズロさんは」
「いま、学校に行ってる」
「は？」またもや変な単語を聞いたという表情を一瞬したものの、小男は今度はどこか納得したように頷いた。「まあ、そうでしょうね」
　なんで納得するんだ。
「ラズロに用なら、この家で待ってるか？」テッドはマクドール邸の中を親指で示した。「弁当届けに行っただけだから、午後の夕飯の支度に間(ま)にあうようには帰ってくるはずだぞ」
「夕飯の支度？」小男はまた眉を寄せる。「ご令嬢がそんなことを？」
「はあ？」とテッドも眉を寄せた。誰がご令嬢？　もしかして、さっき出ていったラズロの恰好を目にしてそうと思いこんだんじゃあるまいな。いや、でも、見かけたなら本人に直接声かけるだろうし……なんか変だぞ。
「ああ、いえ、その……また後日にでも改めまして」小男は慌てて呟くと、そそくさときびすを返した。
　小走りに駆け去っていく男の後ろ姿を見送りながら、テッドはしきりに首を傾げていた。

＊＊＊

　貴族たちの屋敷が並ぶ高級住宅街では、ところどころ背の高い塀や生け垣がそれぞれの屋敷の敷地を区切っている。
　その塀のひとつ、マクドール家のはす向かいにあたるそこで、いま数人の男たちが陰に隠れるようにして張りついていた。
「やっと見つけたぜ」とそのうちのひとり、髭面の男が呟く。「あそこがテオ・マクドールとかいう、鉄甲騎馬に乗って暴れてる、問答無用、喧嘩上等、迷惑将軍の屋敷だ。このへんをうろついてるやつが得意そうにそう言ってた」
「ボス……」そばにいた小男が溜息をつく。「その鉄甲騎馬で追いかけまわされて筋肉痛に三日間悩まされたからって、仕返しするのもどうかと」
「違う！」ボスと呼ばれた男は手下を殴り飛ばした。「追いかけまわされたこと自体はどうでもいいんだ。捕まえたあと、わざわざ逃がしてくれるなんてなめた真似をするのもな！　ただ俺が許せないのは……」
「許せないのは？」と別の男が小声で訊ねる。
「あの猪突猛進弾丸将軍、俺さまのことをちっとも憶えてやがらねえ！」
「そりゃ」と小男が殴られた頭をさすりながらまた溜息をついた。「サラディで食い逃げした程度の山賊のことなんか、将軍だったら憶えてやしませんよ」
「うるさい、食い逃げだろうが、万引きだろうが、窃盗は窃盗だろう、なんで凶悪犯罪者になろうというこの俺さまを無視できるんだ」
「なろうとしているだけで、まだ凶悪犯罪者として名前が知られてるわけじゃないし」
「だいたい、悪事の限りを尽くすとかいってますけど、畑の人参をこっそり掘り返したり、生簀の網を破いたりする程度で凶悪犯罪とは言わねえっすよ」
「てめえら、ほんとに俺の舎弟か!?」
「いや、だって」とみな互いの顔を見ながら頷きを交わす。「山賊になれば税金払わなくてもすむし」
「未納税者だろうと犯罪者だろうと、軍政官たちの扱いはおんなじ」
「だったら働かなくてもすむほうが」
「なんて情けねえ連中だ……」ボスは溜息を抑え、首を振った。「だが、おまえら、今日から覚悟を決めろ」
「なにやるんですか」
「将軍家の塀に落書き？」
「馬鹿野郎、てめえらもさっき見ただろう、あの家から出てきたおとなしそうなお嬢さまを！」ボスはマクドール邸の玄関を指し示し、そこから先の街路へとぐるりと腕をまわした。「あの令嬢を誘拐して身代金を吹っかけてやるんだ！」
　手下たちはそろって目を瞠り、ボスをまじまじと見つめた。
「でも、身代金って……」ひとりが眉を寄せる。「も、もしかして、い、一万ポッチぐらい、い、いきますか？」
「ばっ……！」彼は慌てて手を振った。「そ、そんな莫大な金、使うほうが困るだろうが」そして彼は、こほんと咳払いをしながら、「そうだな、うん……ご、五千ぐらいは……いや、三千……」
　結局のところ、小心者は小心者である。
「わかりました」と小男がぽんぽんとボスの肩を叩いた。「五千ぐらいにしときましょう」
「お、おう」ボスは姿勢を伸ばし、気を取りなおすように深呼吸した。
　そして懐から慎重に紙を取り出し、その赤茶けたようなくすんだ色の紙面を困惑半分で見つめる。
「問題はこれだな……」と彼は溜息を落とした。
　そして手下たちをぐるりと見まわす。「誰か読み書きできるやついるか？」
「………」
「………」
「……えっと……」
　いっせいに沈黙した彼らの中で、小男が自信なさげに手をあげた。