１
「ハイ、ラズロ、元気にしてた？」
マクドール家の玄関に立って腰に手を当て、美しい笑みを浮かべながら挨拶してきたのは、いかにも上品といった素晴らしい貴婦人だった。
銀の髪を結いあげ、リボンや羅目で飾っており、ドレスは薄い緑に絶妙なラインで青の入ったもの。足首まで隠れる長さだが、膝のほうまでスリットが入っており、日焼けなんかどこの世界の話ですかというほど白い細い足が見えている。靴は銀色ハイヒールのサンダル。
手に持った羽毛飾りの扇をゆったりと揺らし、貴婦人は玄関を箒で掃いていたラズロの前に立ちふさがったものだ。
テッドとティルはふたりで階段の上から玄関を覗き、その対峙を眺めていた。
「あれ、誰？」とティルが訊ねてくる。
「知らね」とテッドは首を振った。
本当に知らねえ。なんだ、あの美人。昔からラズロは、女の子、特に年上の女性にはもててはいたが……いま下に立っている婦人は、見た目は二十二、三歳というところだろう。文句なく美人なのに、いまいち妙な違和感があって、はっきりとは人となりが推測しづらい。
その彼女の前では、それまで動かしていた箒をぴたりと止めて、ラズロはしばらくかたまっていたようだった。驚いたといった感じではなく、どこで会ったっけとでも考えているような沈黙だ。
だが、家政婦はやがて貴婦人を見ながら軽く息をついた。「まだ、その趣味なの」
「だって似合うもん」
「いい年なのに」
「なに言ってるの。僕はまだ二十代だよ」
……僕？
テッドはティルと顔を見あわせた。
「ファレナ、大変じゃないの」ラズロがどこか諦めのこもった声で呟いた。
「おもにリムがね」銀髪の貴婦人は嫣然と微笑む。「だいたい、本当にきみは存在自体が罠だよ。きみがいなくなってから太陽宮の設備維持が大変でしょうがないんだから」
「契約期間は、三か月だった」
「うん、わかっているよ。だから新たにクエストギルドに交渉したんだ。でも、きみ、こっちで年間契約しているというじゃないか。半年以上は絶対に仕事をしなかったきみが、どういう風の吹きまわし？ 僕たちが――というか、女王陛下さえ頭下げて引き止めても聞かなかったっていうのに」そして彼女はぱちんと音を立てて扇を折りたたみ、再び腰に手を当ててふんぞり返った。「頭に来たから、直接、顔見に来たの」
「ドレスで？」
「それがなんだい？」腰に手を当てたまま、彼女は自慢げに胸を反らす。「僕はもともとドレス装備できるからね、知ってるでしょ」
ラズロは吐息を抑えるようにして青い目を細めた。「……化粧まで」
「そりゃ、さすがにここまで育ったら化粧しなきゃ男だってばれちゃうもん」
「待て、こらああ！」と叫んだのはティルだ。
彼は階段を転がるようにしておりていき、女装の人物に掴みかかった。「女の恰好してラズロに近づこうとは！」
胸ぐらを掴まれたまま、銀髪の婦人――いや、青年はぱちくりと目をまばたいた。「誰？」
「ここの、坊ちゃん」とラズロがいちおう紹介する。
テッドはティルよりも遅れて階段をおりてきた。「あのよ、それより、さっきからとんでもない単語が飛び交ってるような気がするんだけど」
「とんでもない単語？」青年はまだティルに揺さぶられたまま、テッドのほうへきょとんとした顔を向けてくる。
テッドはがりがりと頭をかいた。「太陽宮とか、女王陛下とか――あんた、ファレナ女王国のおえらいさん？」そうは見えねえんだけど。
ラズロが手のひらで女装の麗人を指し示した。「ファルーシュ・ファレナス。ファレナ女王国王兄殿下、及び女王騎士長閣下」
テッドは引きつりかける頬をなんとか抑えた。「……いまをときめく最高権力者じゃねえか」
その王兄殿下はにっこりと、それはそれは艶やかな笑みを浮かべる。「騎士長といっても代行だよ。リムの結婚が無効になったから――というより、僕が女王騎士長だった義弟をやっつけちゃったんだけど――それで仕方なく務めてるだけ」
「………」ティルはぽかんと口をあけ、いまだに胸ぐらを掴んだままで彼を見つめていた。
「ね、そろそろ放してくれないかな、坊ちゃん？」とひたすら極上の美女の笑みを浮かべて王兄殿下は囁いた。「いちおう、これ、叔母上の遺品からくすねてきたものだから、破るわけにいかないんだ」
ティルは茫然としながらも手を放し、ぎくしゃくとテッドを振り返ってきた。
そして小声で囁いてくる。「ファレナって……どこ？」
「それでも学問所で首席なのか、おまえは」テッドは片手で顔を覆って俯いた。「遥か南の大国だよ。群島諸国のむこう」
ティルはしかめつらになって目を閉じ、世界地図を頭に思い浮かべているらしい。
そのあいだにファレナの女王騎士長代行とやらは、掃除を続けているラズロにくっついてまわっていた。「仕事、休憩できそう？」
「あとで」とラズロは箒を彼に向けて振るようにしている。
テッドはひたいに手をやったまま、「おーい」と力なく声をかけた。「いちおう身分のある人間なんだから、サロンに通すとか……」
「これは、気にしないでいい」ラズロは妙にきっぱりと言い放つ。
これって……まあ、相手の身分がどうでも、ラズロの客であってマクドールの主人を訪ねてきたわけじゃないんだろうけどさ。それにしたって、これはないだろ、これは。「けど、いちおうはさあ……」
「いや、構わないでいいよ、ほんとに」とこれ扱いされた当の本人が気軽に手を振る。
「いいよじゃないだろ！」テッドは思わず叫んだ。「家政婦(ハウスメイド)に箒でぱたぱたやられて、にこにこしてる女王騎士長がどこにいるんだ！」
身分がとこだわるくせに、その高貴な人に向かって怒声を放つテッドはどうなんだとは誰も指摘しない。ただティルだけがその矛盾に気づいたらしく、眉を寄せて考えこんでしまった。
だが、女王騎士長代行閣下は庶民の態度など気にしちゃいないものだ。
「家政婦(ハウスメイド)？」とファルーシュはそこだけが気になったらしく、ラズロに向きなおった。「ここの仕事、介護じゃないの」
「うちには老人も病人もいないよ」とティルが反射的に口をひらく。
その言葉に、ラズロが青い目をテッドに向けてきた。
「……なにが言いたい」テッドは彼女を睨みつけてやる。
「………」
べつに、とラズロは無言で首を振り、ごみを捨てるためにてくてくと玄関を出ていった。