Problem children
導かれし光１
学校の空は暗黒に包まれていた。
混沌の神カオスの力により、すべては闇に沈むと思われていた。
光は消えていなかった。
無個性な生徒たちを生み出す混沌の教育の中に在りながら、強烈な個性を失わない問題児たち。
生き延びたその十人の生徒たちがオールＡを手に入れれば、学園に新たな希望が生まれるという。
「光の戦士」と呼ばれる彼の試験勉強が、いま始まる――
＊＊＊
――単位を手に入れてください。誰も文句の言えない成績、オールＡを。
ウォーリア・オブ・ライトの耳には彼女の言葉がずっとつきまとっていた。
彼はそれで思い悩む性格ではない。だいたいウォーリア・オブ・ライトはウォーリア・オブ・ライトで、本当の名前がわからなくとも全然気にしていないぐらいなのだ。だからウォーリア・オブ・ライトは、どんなふうに呼ばれようとちゃんと返事をする。
なので、書くほうもウォーリア・オブ・ライトとキーボードを打つのが面倒なので、ＷＯＬと省略することになる。
とにかくＷＯＬは、まっすぐ秩序の聖域から出ていこうとしていた。いまだ左手に薬缶を持って。
その彼の行く先にはイミテーションと化した生徒や教師が群れていた。多分に理事長交代の波を食らってクラス替えやらコース変更やらが重なり、彼らもどの教室へ行けばいいのやら迷っている状態なのだろう。
しかし、ＷＯＬにそんな事情を斟酌できるわけがない。
「悪しきものの気配……私の行く手を阻もうというのか？」彼は剣を掲げ、突進した。
そうして通りすがりの無実なイミテーションたちは、次々と光の戦士の刃に斃れていったのである。
「さあ、先を急ごう。こうしているあいだにもコスモスは……」
おそらく寝ていることだろう。
だが、ＷＯＬにはコスモスへの理想があった。コスモスは女神である。コスモスは光である。そしてコスモスは希望なのだ。
「コスモス、あなたの願い、必ずや我らが」とまっすぐな決意をいだき、彼はやはりまっすぐに歩いていく。「評価Ａを手にし、学園に希望を！」
「どこへ行くつもりだ」
不意にかかった声に、しかし、ＷＯＬはそのまま、まっすぐ歩きつづけた。
さっきも言ったように、ＷＯＬはどんな名前で呼ばれようと、あるいは名前を呼ばれなくとも、ちゃんと返事も反応もする。ただし、まっすぐ歩く彼の視界に入らなければならないのだ。
そのため無視された声の主(ぬし)は、むかっとしながらもわざわざ彼の前にまわりこまなくてはならなかった。
「どこへ行くつもりかと訊いているのに！」
ＷＯＬは立ち止まり、険呑に目を細めた。「ガーランド」
それは歴史教師のガーランドだった。確認するまでもない。正直言ってＷＯＬは歴史の成績がひどいものだった。いや、ひどいというのは、もっとましなものを言うだろう。あるいは、少なくとも授業に出ている状態であれば成績という言葉を使ってもいい。
ようするに、そのくらい彼は歴史を顧みなかった。なぜなら、ＷＯＬはやはりまっすぐ前を見つめる男なのだ。過去を振り返ることなどいっさいしない。
したがって、ガーランドはしつこくＷＯＬを目の敵にしてきたのである。
「歴史の授業から逃れるつもりか？」
「私は、なにからも逃げるつもりはない」
即答したＷＯＬは、だが、この歴史を無視して先に進むことはできないだろうと覚悟していた。オールＡへの道――それはひとりひとりが、どうあっても単位を取れない教科と真剣に取り組まなければならないのだ。
単位を取るまでの方法はみな、それぞれ違うだろう。真剣に勉強すれば取れるものもあるかもしれない。だが、ジタンやクラウドのように教師との個人的因縁のために落第している連中などは、勉強することがそもそも無駄という状況にある。勉強してテストを受け、万が一、満点を取ったところでマイナス評価に転換されてしまうからだ。
そうした場合にはディスティニー・ポイントを溜め、クリスタルに刻みこまれる自身の成績を改竄する力を手に入れなくてはならなかった。ＷＯＬの性質上、そのような回避策は、はなはだ不本意なものではある。しかし――
学生の本分は勉強とはいえ、私に歴史という過去を振り返る時間などない。私は進まねばならないのだ。
どこへ進むんだと突っこむ者は誰もいない。コスモスでさえ、その問いが無駄なものであることを知っている。
ガーランドは鎧に包まれた身体を大きく広げるように踏み出し、マントを撥ねあげた。「ならば始めよう、歴史の時間――」
「歴史はここで終わらせる！」ＷＯＬは薬缶を持った手でガーランドを指し示すようにして宣言した。
その薬缶はなんだと、やはり普通ならば突っこむところだが、ガーランドはＷＯＬのこのよくわからない行動に慣れていた。どうせ本人に訊いたところで、どこから持ってきたのか、なぜ持っているのか、答えられるはずもない。そうした珍妙な現象は見なかったことにするのがこの学園では基本だ。
したがって教師はあまり動じず、目の前の生徒同様、まっすぐに相対する。「勝手に終わらせるな！ 歴史は輪廻のごとく繰り返すということを知らんのか？」
「知らなくとも我々は進む！」
ある意味、そのとおりだ。「……単位がなくてもか？」
「必要ならばディスティニー・ポイントを奪うまで！」
「ならば奪ってみせよ！」ガーランドは巨大な剣を振りあげた。
それは刃というほどに鋭くないものの鉄のかたまりには違いない。ガーランドはそれを自在に振りまわし、状況によっては二本に分けて高速で斬りこんでくる。また、刃を分離して頑丈な鎖で繋がった分銅のように周囲のものを薙ぎ払うこともあった。さらに槍のようにも突いてくるから始末が悪い。
だが、ＷＯＬは相手の武器がどうであろうと、やはりまっすぐ立ち向かう戦士だった。一歩前に踏みこみ、掲げていた薬缶をさらに突き出す。「シールド・オブ・ライト――」
その技は本来、盾から光を発して身を守りつつ、その光の波動で眼前の敵を遠ざけるものだった。
それがまさか薬缶から発動されるとは思わず、ガーランドはちょっと怯んだ。「なんだと！」
「これが光の力！」
「だから薬缶だろうが、それは！」ガーランドはさすがに動揺した。
立て続けに波動を放ちながら一歩ずつ確実に前進してくるＷＯＬを警戒して、教師はあとずさりする。「学園の備品を勝手に使うな！」
「む？」ＷＯＬは足を止め、左手にある銀色の丸いステンレスを見つめた。その側面がちょっとへこんでいる。「これは――私はいつのまに用務員室から持ってきてしまったのか」
「公共物の無断使用により態度減点！」ガーランドはＷＯＬの動きが止まった隙に踏みこみ、二本に分けた剣を振りまわした。
それをよけながらもＷＯＬは左手の薬缶を睨みつける。「私がこの薬缶を持ってきてしまったことは、なにか意味のあることに違いない」
「誰がそんな運命論を――」
「あおいきば！」
ガーランドの頭上に四つの氷塊が降ってきた。それは横に広がった長い角のある彼の兜頭にごんごんと当たり、そのうちのひとつをＷＯＬはひょいと剣で拾って薬缶の中に放りこんだものだ。
そしてその薬缶を、「いったい、なにがしたいのだ」と茫然としているガーランドの頭に放り載せると、すかさず、「あかいきば！」と炎の玉を教師の鋼鉄頭にぶつけた。
金属製のその頭はたちまち真っ赤に灼け、薬缶の中の氷は溶ける前に沸騰した。
「よし。薬缶の役目は湯を沸かすことにある」
あちちと飛び跳ねるガーランドの横を、ＷＯＬはまっすぐ通りすぎていった。
「待て、こら、待たんか！」
ガーランドはまだ頭を真っ赤にしたまま、蒸気を噴き出しつつ怒りに肩を震わせた。その蒸気が怒りのためなのか水蒸気なのかはよくわからない。
「貴様、本気で進級をめざすつもりか！」
「それが我らの使命。希望はまだ潰えていない！」
「愚かだな。貴様の望むもの、正しき光に満ちた将来など、それは幻よ。追いかければ逃げ、追いついても決して手に入ることはない。それを歴史が証明しているというのに、なぜ学ぼうとせんのだ」
「なに？」ＷＯＬはさすがに振り返った。
ガーランドは太い声で高らかに笑った。「いずれ思い知る。歴史と向きあわねばならん、おのれ自身の運命を。成績は貴様を裏切るのだ！」
そうして、「どこかで氷を見つけて冷やさねば」と呟きながら教師は消えていった。
ＷＯＬはガーランドの残していった薬缶を拾いあげた。
胸中にほんのちょっと頭をもたげた不安は、しかし、すぐに打ち消される。「たとえ単位がどうあろうと、光は我らとともにある」
意味不明ではあるが、確かにＷＯＬは光とともにあった。頭の中はもともと真っ白だ。だから、ほんのちょっとした不安の影なんか、すぐにかすんでしまうというもの。
彼は再びまっすぐ歩き出していった。
めざす場所など彼にはわからない。とにかく、ＷＯＬはまっすぐに進むだけなのだ。
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