Problem children
宿命３
なにをするでなく、だらだらと教室を渡り歩いて、いまは次元城にいるクラウドたちだった。
明るい青い空に直線的な塔がぽつぽつと浮かび、天井はまだら模様に異世界の風景が映しこまれている。
「おっ、宝箱！」とティーダがさっそく大扉の前にある宝箱のそばにしゃがみこみ、その蓋に手をかけた。
当然だが、どこからか降って湧いてくるイミテーションの門番。
しかし、赤みがかったガラス細工のようなその人影は、宝箱の中身を見聞しているティーダに襲いかかる前にぎくりと動きを止めた。
天真爛漫な少年の後ろに立つクラウドとセシルが、じろりと目を向けてきたからだ。
どこかの道化の数学教師に似た影は、ごめんなさいとでも言うように、ひょこひょこと身体を揺らすと、ふいっと消えていった。
「お宝がたくさんっすね！」ティーダは罠の存在も知らぬげにアクセサリを手にすると、とても嬉しそうな笑顔で振り返ってきた。
クラウドは頷いた。「ああ、先輩たちの遺した強い力だ。手に入れておくといい」
「これからも宝箱は取り逃さないほうがいいかもね」セシルが苦笑する。「鬱憤晴らしにもなるし」
パラディンセシルはどうしてこう、好戦的になるものなのか不思議だ。クラウドはわずかに眉を寄せた。「いや、そうとも限らない。勝ち目のない強敵には手を出さないほうが賢明だ」
ティーダがからかうような表情でクラウドの背負った剣を指し示した。「そうそう、無駄に重い剣をを振りまわしても疲れるだけっす」
クラウドは無意識に肩の上へと手をやり、そこにある使いこんだ柄(つか)を軽く撫でた。「重くはない……大切な剣だ」
――あいつの生きた証。
俺がこの剣を持ち生きていく限り、あいつは……だが、それだけでいいのか？ 俺にこれを持つ資格があるのか？ あいつの誇りを正しく継承できているのか？
俺は、なにを為すべきなのか。
いや、わかっている。俺は怖がっているんだ。またなにかを失うかもしれないことに。セシルが言ったような冷静さなんて持ちあわせてはいない。ただ臆病なだけなんだ。
だが、その臆病さから一歩踏み出せずにいる。わけもわからず、いろいろな物事が流れていく中で、俺はまたなにもできずにいるのではないかと。
流されずに立ち向かえる強ささえあれば……。俺はもう、なにも失わずにすむはずなんだ。
ふと遠い目をして黙ってしまったせいか、セシルが首を傾げてこちらを見つめてきた。
クラウドは、はっとして現実に向きなおる。
「疲れたかい、クラウド？ 少し休もうか？」とセシル。
休むといっても、どうせ俺たちは最初からなにもしていないけどな。ティーダが遊びまわっているのを微笑ましく見守っていただけだ。
クラウドは首を振った。「いや、問題ない。考え事をしていただけだ」
セシルは、そうかい？ とわずかに目を細め、ティーダが次の宝箱を見つけに行くっすと駆け出していくのを追っていった。
視線を転じれば、それまでずっと静かに考えこんでいるふうだったフリオニールが、じっと自分の頭を見つめていることに気づく。セシルと並んで頷いたりしているときには大抵、誰かが俺のほうを見つめているんだが、なぜだろう。この学園じゃ、金髪は珍しくないだろうに。
フリオニールはクラウドの訝しげな目に出会うと、少し逡巡しながらも、しかし、今度はまっすぐ向きなおった。
「この学園にいる理由、しばらく考えてみた」と静かに言う。「だが、言葉にするのはなかなか難しいな」
なんの話だったかと一瞬考えてから、クラウドは思い出して頷いた。「そうか」
「ひとつ思いつくとしたら――やはり、こいつか」とフリオニールは手のひらを上に向けてかざし、そこに真っ赤な薔薇を出現させた。
クリスタルの力はいろいろと便利だ。みな、それぞれポーチやポケットに小さなものは入れておけるが、嵩張るもの、こうした水が必要なものや食糧が必要な生きもの――召喚獣などはある程度、クリスタルでできた異次元ポケットににしまいこんでおける。さすがにどこでもドアは出てこないけどな。
クラウドは薔薇を見つめて眉を寄せた。「それは？」
「『のばら』だ」
「のばら……」確か、もっと違うものだったんじゃないか。花弁がシンプルで小さくて、そんなにぐるぐる巻いていなくて……棘はあったとは思うが、そもそも白い花だったような気が……。花売りのエアリスの説明をよく聞いておけばよかったかもしれないな。まあいいか。
フリオニールはクラウドの難しそうな顔にも気づかず、遠い目をして青い空を仰いだ。「ずっと見たかった景色があるんだ。俺はそのためにこの学園を卒業したい」
だったら、もう少しまじめにやればいいのに――いや、こいつはまじめにやっている。ただ、どうしても政治経済のマクロな考えかたについていけず、皇帝に反抗してしまうだけなんだ。もっとも、皇帝のほうも極端な集合論者なのだろう。
フリオニールは目をおろし、苦笑するようにしながら、のばらを消した。「ま、いまのところ、夢みたいな話だけどな」
「夢？」クラウドはぼんやりと訊ねた。
フリオニールは力強く頷く。「ああ、夢を諦めたくないんだ。それがあるから俺はここでやっていける」
そうか。羨ましいな。
なんだか……楽しそうなティーダが羨ましくてボールを取りあげたセフィロスの気持ちがわかるような気がする。もしこいつが、のばらを取りあげられたら……夢を諦めるんだろうか？
クラウドは自分でも意識しないまま、思わず口をひらいていた。「フリオニール、俺と戦ってくれないか？」
「え？」ぱちくりと目を見ひらいて振り返ってくる青年。
クラウドもまっすぐ彼を見つめた。「知りたいんだ。それだけで本当に勉強を続けられるのか」
いや、そんなことを確かめようとしているんじゃない。そうじゃなくて……。
クラウドは少し考えてから言いなおした。「夢の強さというやつを」
知りたい。
それが、なにを失うとしても突き進める理由になるのかどうか。
フリオニールは少し迷っていたようだった。「しかし」といったんは呟いたものの、すぐに決意した表情で頷く。「わかった、受けて立とう」
＊＊＊
落ちていたポーションを拾って気絶したイミテーションの数学教師を蹴り転がしながら、ティーダはふと剣戟の音を聞き拾った。
見おろせば、クラウドとフリオニールがなぜか武器を打ちあわせ、あちこち飛びまわっている。
「なんなんっすか？」ティーダは次元城の上のほうからその級友たちの姿を見おろした。四つん這いになって、そこから落ちないように慎重に身を乗り出す。
そばにいたセシルが、かすかに笑ったようだった。「ただのじゃれあいだよ。暇だね」
「暇だと喧嘩するんすか」
「喧嘩じゃないよ。やつあたり」
「は？」ティーダは思わずセシルを肩越しに振り返った。
セシルはからかうように笑う。「冗談はともかく、確かめあっているんだろうね」
「なにを？」
「なにかを」
ティーダは不満げに振り仰いだ。
「クラウドはねえ」セシルはティーダの隣にしゃがみ、膝の上に両肘をついて顎を支えた。「たぶん、優しいんだろう」
やつあたりしておいて？
「なにかを傷つけても守りたいものが自分にあるのかどうか、わからなくて迷ってるんだよ」セシルは自嘲ぎみにかすかに口の端をあげる。「僕も暗黒騎士のときには、誰かを傷つけてしまう結果になるならと臆病になることが多いからね」
ティーダは複雑に顔をしかめた。「そんなこと考えてたら、人生、なにもできないっす。クラウドはとにかく強いんだから、動いたらいいのに」
セシルは軽く笑った。「ティーダはそれでいいよ」
「セシルまで」むっと彼は口を尖らせた。「それでいいって言われたって、オレ、その《それ》っていうのがなんなのか全然わかんないっす」
「だから、それでいいんだよ」また軽く笑ってから、セシルは、「あ」と視線をおろす。「クラウドの勝ちだね」
確かに、次元城の下のほうにある足場、そこで膝をついて息を切らしているのはフリオニールのほうだった。
さまざまな武器を駆使する器用な戦士は、大抵、移動を極力抑え、大地にしっかりと腰を据えてその武器の持つ性能を十全に引き出して戦うのが常だ。それがクラウドのパワーに押されてあちこちに飛びまわらざるを得ず、結果的に手数を減らされたのだろう。
クラウドもそれほど敵を翻弄するような動きをするわけではない。だが、あの重そうな大剣を片手に普通に壁を走り、足場を飛び移り、相手を打ち飛ばしては追撃をかける。ティーダ自身も、あの剣に打ちこまれたら最後と逃げまわるしかないこともしばしばだ。
「うだうだ悩んでても強いんだもんなあ」ティーダにはそれが心底羨ましかった。「迷いがなくなったら、どうなるんだろ」
「セフィロス先生みたいになるかもね」
「うっ」それもなんだか……いや、べつにあの先生が嫌いってわけじゃないけど。そういえばクラウドもセフィロスも、こっちをじっと見つめていたかと思うと、なにも言わずにふいっと遠ざかっていくことがあるよな。似てる……のか？
セシルも同じことを考えていたらしい。なにかを思い出すかのように首を捻りながら、「実際、あのふたり……まあ、それは彼らの事情なんだろうけど」とそこで彼は、ちょっとだけ意地の悪そうな微笑みを閃かせる。「ティーダも、もっと自信を持てばジェクト先生みたいになると思うよ？」
「いやだ、それだけはいやだあああ！」ティーダは思いきり青い空に向かって叫んだ。
＊＊＊
戦ったからって、どうなるものでもなかった。
ただ、夢というものを持っているやつに俺はたぶん敵わないんだろうと、どこかで考えていただけだ。
夢を持てと言っていたソルジャー。その夢をしっかりと抱きしめる前に、俺はわけもわからずに流されて、気がつけばなにもかも失っていた。
俺に足りないのは手に入らなかった夢の強さというものなのだろうかと……確かめたかっただけだ。
軽く疲労の溜息を落とし、クラウドはきびすを返しかけた。
「まだ――」とうずくまったフリオニールが低く呟き、そして一瞬、その全身から青い闘気を放出させた。「終わっていない！」
クラウドが振り返ると、剣や戦斧、短剣、弓矢からなにから、フリオニールの持っていた武器が彼の眼前を取り巻いた。
おそらく、もう少しフリオニールの気力が大きかったなら、クラウドは反撃するまもなくそれらに八つ裂きにされていただろう。その反撃は完全に想定外のものだった。
だが、フリオニールが再びがくりと頭を垂れたと同時に、その武器たちも地面にばらばらと落下していく。
クラウドはそれらを見おろしてから、ゆっくりとフリオニールに近づいていった。
苦笑しながら手を差し出す。「たいしたものだ」
「言っただろ。夢を諦めない――と」フリオニールはその手を握りながら苦々しげに笑った。
クラウドは頷く。「ああ、だが」と目を逸らし「俺は、おまえにはなれない」
「なぜだ？」フリオニールは眉を寄せた。
「探しても見つからないんだ」そう、俺は――「夢を持たない俺は、どうしたらいいと思う？」
空を振り仰ぎながら、クラウドはまだ虚しさの残る感情を持て余した。夢を持てと言われても、抱きしめろと言われても――すでに失ったものを、どうやって手にすればいいというのか。
ふとフリオニールが沈黙してこちらを見つめてきているのに気づき、クラウドは急いで現実に目を戻した。「すまない、困らせるつもりはなかった」
フリオニールは曖昧に頷くだけだった。
その彼に背を向け、クラウドは疲れた足を動かして歩き出した。
俺の求める答えは、ここにはないのかもしれない……。
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