Problem children
少年は誇りを胸に３
政治経済の教室――皇帝のパンデモニウムはひっそりと静まり返っていた。
まあ、大抵の教室は広くて静かなものだ。うるさいのはアルティミシア城ぐらいだろう。あそこは歯車がしょっちゅうまわっていて、その軋む音に苛々させられるのだ。
ともあれ、オニオンナイトとティナはその薄暗い教室を壁の陰に沿って移動していた。
「本当に先に進むの？」とティナが不安げに囁く。「なんだか、イミテーションの見張りも多くなってきたみたい……」
オニオンは肩越しに彼女を振り返った。ティナは珍しくぼんやりした顔はしていない。不安感が大きいせいか、いつものふかふかなことを考えている少女のそれではなかったのだ。
オニオンは力強く頷いてみせる。「心配いらないよ、ティナ。相手の動きをよく見れば必ず規則性が見つかる。イミテーションは単純なやつばかりだからね。きちんと考えて隠れていれば怖くないさ」
ティナはかすかに微笑んだ。だが、不安は消えていない。「強いのね。あなたの強さが羨ましい」
どうかな。僕は確かに自信を持っている。相手をよく見るし、ちゃんと自分の実力も把握している。だから、斃せるとわかっているイミテーションは殴って黙らせることもするし、騒ぎになるなと思えば回避する方法を計算する頭もある。
だいたい、みんなそうやって効率よく生きてるんだろ？ ぼくも利口に立ちまわっていけるさ。
オニオンは、見張りのイミテーション教師が通りすぎていくと壁の陰から出た。「ティナ、気配は？」
彼女はやはり不安げに眉を寄せる。「まだ先だけど……退がって！」
ティナの叫びと同時に、少し先の高くなった床、そこに浮かんでいたクリスタルゲートの光が強くなった。
ひときわ大きく輝いたそれは、たちまち巨大な樹木のごとき巨体を形作る。
「えっ」オニオンナイトは、それが出てきたということではなく、その巨大な鎧のかたまりが動いているということにびっくりしてまばたいた。「エクスデス先生？」
「動けるんだ……」とティナもぼんやりと呟く。
金色の装飾を散りばめた青い兜の頭がゆっくりとこちらを見おろしてきた。丸みを帯びた腕も胸も、そして首まわりも甲冑とは思えないほどの弾力があるようになめらかで、その動作ひとつひとつはゆっくりであるものの、ずいぶん器用に曲げられ、捻られ、膨れる。
だが、バッツから聞いたところによれば、その身体は結構、硬いのだそうだ。いったいどんな植物なんだろうと、以前から疑問ではあったが――
なんだ、この威圧感。目を覚ましてると、この先生……底知れない……。
エクスデスは兜頭をじっとこちらに向けていた。そしてやっと低く声を立てる。「コスモスの問題児か」
その声はどこか虚ろから取り出したような響きを持っていた。
「退屈しのぎに散歩に出向いてみれば、女子供が授業を抜け出しておるとは」
オニオンは内心で冷や汗をかいた。授業をサボっているところを見つかったうえ、テストの答案を盗み見ようとしていたことまでばれたら――
彼はしかし、内心のあせりをひた隠し、一歩前に進み出た。「み、見逃してくれませんか？」
エクスデスはわずかにその巨体を揺すった。「なに？」
オニオンはその威圧的な所作にちょっとたじろいだものの、どうにか続ける。「ぼくらの素行なんて、あなたにはたいして意味のあることじゃないと思います。ぼくたちを補習に引きずっていったって、散歩以上の退屈しのぎにすらならないでしょう。なら、ほかにもっと問題のある生徒を見つけたほうが満足できるはずです」
そしてオニオンはいちかばちか、この先生の矜持を試してみることにした。「あなたが気の弱い生徒をいたぶる卑怯者なら、話は別ですけど……」
エクスデスの反応はしばらくなかった。どこを見ているかわからない兜頭は、まさに無の象徴。
だが、やがて哲学教師は鼻で笑うようにまた身を揺すった。「無力なものを無に還しても、まさに無意味か。よかろう、見逃してやろう」
ほっ。初めてまともに話をしたけど、この先生、意外とおおらかなのか？
「だが、小僧」とエクスデスは鋭くつけ加える。
オニオンは、びくりとした身体が目に見えるほど飛び跳ねていないかどうか祈りながら教師を見あげなおした。
エクスデスは尊大に彼を見おろしてくる。「ひとつだけ教えてやる。みずからの行動理由を堂々と主張できん勇なき者に、Ａ評価を手にする資格はないぞ」
え？ と訊き返すまもなく、エクスデスはクリスタルゲートの中へとまた戻っていってしまった。
いったいどういう意味なんだろうとオニオンは考えたものの、しかし、後ろにいるはずのティナが不安になっているんじゃないかと、努めて気楽そうに振り返った。
「ちょろいもんだね」と笑ってみせる。「ま、補習を受ける破目になっても適当にあしらって逃げるつもりだったけど。ぼく、理解できない授業は出ない主義なんだ」
ティナはオニオンではなく教師の消えたほうを見つめていた。「でも、いいのかな？」
「いい――って、なにが？」
彼女はオニオンに目をおろす。「なんだか、わざと見逃してくれたみたい。補習を避けたあなたに助言めいたことまで」
「勇なき者って話のこと？」オニオンはちょっとむっとした。「どうしたって理解できない授業を、むやみに受けたってしょうがないじゃないか。わからない試験に挑戦するのは勇気じゃない。単に無謀で無駄なだけだよ」
「ごめんない」とティナは小さく謝った。「でも――」
どうして女の子ってこうなのかな。怒られることがそんなに怖いのか？ それとも、ぼくがまだ彼女に信用されてないってこと？
オニオンは気負って胸を張った。「だったら、Ａ評価を手に入れて証明するよ。ぼくが勇なき者じゃないって」
そうだよ。子どもだからって、みんな馬鹿にしてるんだ。だから、さっきの先生もあんなことを。だったら、誰よりも早くオールＡを取って証明してみせる。ぼくは子どもでも、ちゃんと騎士なんだ。
ティナはどこか不可解な顔で、しかし、なにも言わなかった。
オニオンはきびすを返した。「行こう、まだ気配は感じるんだよね？」
ティナは頷き、しぶしぶというようについてくる。「この先よ」
「よし」彼は憤然と歩き出した。
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