LONG AGO

６

　ザックスは砂に汚れたガラス越しに、見慣れたチョコボがこちらに歩いてくるのを、どきどきして待っていた。
　彼はあのまま波に揺られ、高速で陸地へと運ばれたのだ。
　セイレーンがなんでそんなことをしたのかとずっと不思議だったが、あの姉ちゃん親切にも、おれの素性を推し測って、クラウドのところまで連れてきてくれたわけだ。
　召喚獣と仲よくしてると、こういういいことあるんだな。
　砂浜に打ちあげられ、金色の頭をがっくりとさせながら近づいてくるクラウド。
　助かった。助けてくれ。早く、早く。
　クラウドはいったん立ち止まり、あたりをぼんやりと見まわし、そしてまたこちらへと近づいてくる。
　ところが、クラウドはてんで気がついた様子がない。
　おおい、下向いてるなら、こっち見てくれよう。
　そして少年の靴がザックスの目の前におろされ、そのまま踏みつけられるかと彼は無言の悲鳴をあげた。
　そしてクラウドはこけた。
　ザックスの閉じこめられたその瓶に見事に蹴つまずいたのだ。
　ひっくり返りながら、ザックスは珍しいなと考える。つまずいたってことは足引きずってたってことだ。いつだって元気よく大股に歩くあいつが、いったいどうしたんだ？
「ちくしょう」と、ガラス越しにクラウドの声が響いてくる。「なんだよ、このごみ！」
　ごみじゃねえええ。
「海にものを捨てるなよな。ああ、でもこのへん、ごみ箱ないじゃないか」
　だから、ごみじゃねえんだよう。
　クラウドは砂まみれの瓶を掴み、再び歩きはじめた。

＊＊＊

　嵐のなか、船は沈みかかっていた。
　晴れあがったと思った途端の惨事である。
　のちに嵐のために前方の突出した岩に気づかず座礁したのだと公表されたものだが、真相は一部を除き、闇の中に収められたのだろう。
　乗務員の指示もばらばらに、乗客もばらばらに救命ボートに飛びこんでいく中で、セフィロスはいまだ甲板に仁王立ちしていた。
　巨大台風はその結界をわずかにほどき、いまはどんよりと黒い雲から滝のように雨が落ちてくるだけになっている。テュポーンがすぐには復活できないほどばらばらになってどこかへ行ってしまったので、風はほとんどなくなっていた。セフィロスも避難を続ける人々も、天からのばかでかいシャワーを浴びているようなものだ。
「俺のせっかくの船旅を」彼は恨みがましく召喚獣たちを睨みつけていた。「これ以上、俺とやるつもりがあるなら……」
　召喚獣たちが、ほんのわずかあとずさりする。
「クラウドに言いつけるぞ」
　神にまで昇りつめた男が、どこか情けないことを言ったなと自分でも突っこみたくなるほどだったが、おそらくはいちばん効果のある脅し文句だっただろう。
　オーディンが駆け去り、タイタンもイフリートもあっというまにほどけて消えていく。カーバングルは空中で一回転して海の中に飛びこみ、リヴァイアサンは静かに水平線に向かっていった。
　ラムウがしぶとく残っていたが、苛立たしげに雲の中で稲妻を走らせるにとどめ、去っていく。
　セフィロスは正宗を収め、すっきりと……していなかった。
　なぜだ。思いきり魔法をぶっ放し、手応えがあまりないとはいえ思う存分正宗を振りまわし、溜まりに溜まったストレスをすべて召喚獣どもにぶつけてやったというのに！
　くそう、ザックスはどこだ、このさい、あいつでやつあたりせんと……ああ、俺が捨てたんだったな。
　セフィロスは溜息をつき、洪水を起こしている甲板を見おろした。
　虚しい。
　なにかが欠けている。
　誰かに会いたいと思ったことなど、これまでほとんどなかったというのに。
「あらあらあら、お兄さん、早くしなさいな」
　自分に声をかけられたと気づいたのは、問答無用で腕を引かれたあとだった。
　年取ったイワトビペンギンが救命胴衣をつけ、彼をぐいぐいと船縁へ連れていく。「ボートは充分数があるそうよ。でも急いだほうが安心でしょ」
　安心などいらん。ただ……。
　彼は老女にひっぱられるまま救命ボートに乗りこみ、海上におろされた。
　ボートにはほかに何人もの乗客や乗務員が詰めこまれていたが、セフィロスの長身が紛れていてもそれほど窮屈ではなかった。もっとも、手足を伸ばせるほどの余裕はない。
　ぼんやりと雨に打たれる海を見つめていると、彼はいきなり、がくりと前のめりにひっぱられた。
　イワトビペンギンが彼の頭をがっしりと抱きこんでいたのだ。
「なにをするか」セフィロスはそう言ったものの、彼女を撥ね飛ばす気力も湧かず、そのまま為すがままにされる。
「こうやってね、人の心臓の音を聞いていると安心するもんなんですよ」老女は子どもでもあやすように彼の背中を叩いた。
　確か、こうしたことをどこかでやられた記憶があるぞ。
　彼の脳裏に金色が横切った。
　そうだ、クラウドだ。
　ライフストリームの混沌の中から俺という形になって、初めて目にしたのがあの金チョコボだった。
　あいつ、こうして俺を撫でまわしていたな。
　あのころは俺も復活したばかりで惚けていたが、あいつめ、この俺を子ども扱いしていたのか？
「さあさ」老女がまたぽんぽんと背中を叩く。「雨もあがってきたし、水も食糧もちゃんとあるんだから安心してお眠りなさいな。それとも、お腹がすいてる？」
　いや、俺はべつに食わなくても構わんのだが……まあいい、寝たふりでもしておこう。
　……ふむ、そうだな。これまで思いつかなかったが、そのうち、あのチョコボを抱き枕にでもして寝てみるか。
　気持ちよさそうだ。