２ 少女たち
エアリスはカレンとともに、本日はお買いものだった。
とはいえ、上の街でなにかを買おうとすれば、かなり出費がかさむ。彼女らが商品を漁る場所はウォールマーケットと相場が決まっていた。
それに、上の街のきれいに飾りつけられたウィンドーを外から眺めて歩くよりも、こうしたジャンクの山を隅から隅まで発掘し、冒険するほうが遥かに楽しい。
六番街の真下にあるスラムには落書き用かと思えるほどの壁がずらりと並び、その足もとに露店やプレハブの簡易店舗、あるいは廃材を利用した宿屋やパブ、食堂が所狭しと列になっている。それらのあいだを買物客たちが埋めつくし、大抵の場合、道なんかなきがごとしだ。
その通りをまっすぐに行けば、高級さと猥雑さを兼ね備えたドン・コルネオの屋敷がある。こんなスラムにシマを張っているくせに世界各地の美女を集めるんだと息巻いているので、食いつめた貧乏人は、娘や、ときには妻を売ることもあった。
入口から少しわきに入ったところには、瀟洒な休憩所、蜜蜂の館があって、常に男性客の注目の的だ。
あまり健康的な界隈ではないが、悪いものだろうと拾いものだろうと、あるいは盗品だろうと、安くて望む品物が置いてあると思える商店街は、この六番街スラム、ウォールマーケットしかなかった。
エアリスもカレンもスラム育ちで、こうした場所にはもう、おなじみだ。スリに遭わないよう、遭っても盗られることのないよう習慣は身に沁みついている。それに大抵の玄人(くろうと)はだしの連中は、彼女らのようにいかにも地元の人間という者を狙うことも少なかった。
スラムはスラムなりに、住民たちは助けあって生きているのだ。
こうした店に並ぶ古着や道具類も、みな売ったり買ったりと需要と供給の結果である。
ごみのように服が山積みにされた中には端切れを縫い寄せただけのようなものもあるが、それはそれでファッションにすげ替えることもできるし、裾がほつれたのも、穴のあいたものも、それなりに工夫しようはある。
それこそ、ほんの小さな糸のほつれのために売りものにならないとはじき出された上質なものもあるし、色落ちするものは洗うだけ洗いざらしてから、また染めなおしてしまえばいい。
そうして工夫し、着まわしているそれらの服には彼女らのセンスが問われるのだ。あれこれと組みあわせ、苦労するからこそのおしゃれ。完成された既製品よりもひとしお、愛着が湧くものだろう。エアリスのイメージカラーとなって定着したピンクの服も、そうしたことの積み重ねである。
そしていま、彼女はワゴンの山の中に頭まで突っこんで、使えそうな布を探しては放り出していた。
片端から取り出すのはブルー系が多い。彼女は菫色のミニスカートをしげしげと眺めたあと、それは山に戻して、先刻引っ張り出していたロイヤルブルーのワンピースを広げた。「うん、やっぱりこれかな」
「ねえ、なにを探してるの？」カレンがピンクのフレアスカートを差し出してくる。「あんたが着るなら、これじゃないの？」
エアリスは軽く首を振った。「ザックスご執心の彼女になの。なにかプレゼント持ってお近づきにならないと、気になってしょうがないんだもの」
カレンが苦笑した。「どこの誰かもわからないのに」
「あら、迂闊なザックスのことだし、そのうち、ぼろを出すに決まってるでしょ」
カレンはスカートを山のてっぺんに載せた。「エアリスってば、ザックスザックスって騒ぐくせに、すぐ彼女のほうに興味がいくのね」
そういえばそうかも。「彼が声をかける女の子って、案外、似たようなタイプばっかりじゃない？ 気が合っちゃって」
「それに、みんなでたかれば怖くない？」
エアリスは笑った。「カレンだって、いいように使ってると思うけど」
「そりゃあ、あの人、便利なんだもん。誘えば断わらないし、服とか飾りもの以外なら、ほいほい買ってくれるし」カレンは目を輝かせ、今度会ったらなにを奢ってもらおうかと考えはじめたらしい。
「そうやって物ばっかり目が行ってるから、食べものやお茶でごまかされるとも言うわね」
「まあね。でも、ザックスのいいところは、ほんとに高いものは買わないってこと。あの調子でドレスだ宝石だなんて気軽に出された日には、詐欺師にもならないわよ。お茶ぐらいでちょうどいいじゃない」
エアリスは店員に青いワンピースを掲げてみせ、ギルを支払った。こういうところでは、ラッピングなどのサービスはもちろんない。せいぜい、頼めば、どこかから拾ってきた紙袋をくれるだけだ。
服を畳んで今日はからっぽのバスケットに押しこむと、エアリスはカレンを促がして通りへ戻った。「ところで、明日から一週間、アイスクリームさえ奢ってもらえなくなるって知ってた？」
「どうして？」
「彼、ソルジャー1stになるんだって」エアリスはぐるりと目をまわした。「なんだかいうメディカル処置で入院するらしいの。どうやって一週間、デザートなしで過ごそうかな」
「入院ねえ」カレンは上のほうを見あげながら軽く吐息をついた。「全然似合わないな」
「べつに病気ってわけじゃないわよ」
「あら、もう末期症状になってるじゃない。女の子いないと生きていけないんでしょ。中毒患者よね、あれは」
ころころと笑いながら歩いていると、どこかしらから、「ケロ」と場違いな両生類の鳴き声が聞こえた。ような気がした。
よくよく注意しなければ聞き逃すほど小さな音だったが、エアリスの耳はしっかり拾い、彼女の目はしっかり興味を持ってあたりをさまよう。どこにカエルがいるんだろう。
見まわしても、それらしいものは飛び跳ねていなかった。代わりに、彼女らのわきを大荷物を担いだ少女が通りすぎていく。
十二、三歳ぐらいだろうか。泥だらけの靴にデニム地のパンツ、ジャケットの下には洗いざらしのＴシャツ、ボストンバッグに傘を差しこみ、木製のキャリアーにトランクを載せて引きずっている。
乱雑にあんだ三つ編みおさげ、そばかすだらけの顔、おのぼりさんを絵に描いたようでもあり、その推定年齢から家出人だろうことは疑いなかった。
「ねえ」カレンが彼女を目で追いながら心配そうな声を出した。「このまま、まっすぐ行ったら、あの子、コルネオの手下どもがたむろってる場所に向かっちゃうんじゃない？」
確かに、ひとり旅とわかる田舎の女の子は恰好の餌食だ。
エアリスは少女を追い声をかけた。「ねえ、ちょっと、あなた」
くるりと振り返る彼女。「あたしはミリーよ」
そうやってすぐ名前を言うところを見ると、全然、警戒してないみたいね。「あなた、ドン・コルネオと知りあいなの？」
「誰の知りあい？ あたしの知りあいはザックスだけよ。ほかの人間なんか知らないもん」
エアリスはまばたき、カレンと顔を見あわせた。
「偶然ね」カレンが少女を挟んで反対側にまわり、彼女の方向を強引に返させた。「あたしたちもザックスの知りあいなのよ」
「なんですって？」ミリーという少女は驚いたように目を丸くし、次には突然、哀れむように顔をしかめてみせる。「ああ、あなたたちもあの男に騙されたくちなのね。可哀相に。でも、大丈夫よ。あなたたちのぶんも、あたしがきっちりと懲らしめてあげるから」
なんのことなのかしら。誰かに騙されているというのなら、この子のほうだと思うんだけど。「とにかく、この先にはザックス、いないんだ。あるのはドン・コルネオの悪趣味な屋敷だけ」
「上にあがるには、この先のお屋敷に行けば簡単だって言われたんだけど？」
ああ、やっぱり騙されてる。
カレンがエアリスを突ついてきた。「どうでもいいけど、明日からザックス、入院なんでしょ？ 今日連れていってあげないと間に合わないんじゃない？」
彼女は頷いた。今日はワンピースのこととか、家の片づけとかやるつもりだったんだけどな。まあいいや。「そだね。じゃあ、お姉さんたちといっしょに行こ」
「子ども扱いしないで。あたしは立派なレディになったんだから」
そう腕組みして威張られると、思わず吹き出しそうになる。
頬をこすって表情をごまかしていたエアリスを、またカレンが肘で小突いてきた。「ちょっと、お姉さんたちってのはなによ。今日、あたしはジョニーとのデートが」
「チョコレートパフェ」エアリスは彼女の耳に囁いた。「プリンサンデー、ババロア、アイスクリームに熱々のコーヒーかけて、ブランデーのたっぷり利いたパウンドケーキなんてどう？ 今日を逃したら、一週間、お目見えなしよ」
カレンはたちまち暗示にかかった。「そうね、ジョニーじゃ、そこまでご馳走してくれないし」
「ジョニーって、あの赤毛の同い年の子でしょ？ ソルジャーと経済的なところで比べるのは、ちょっと可哀相」
「わかってるわ」カレンは謝罪するように手を合わせ、七番街のほうへと目を向けた。「でも、結局はどれだけ包容力があるかで決まっちゃうのよ、わたし」
だから、奢ってもらえる量だけで包容力のあるなしを決められるの、可哀相な気がするんだってば。
「同時に二股かけるのはよくないわ」ミリーが聞き耳を立てていたらしく、むっつりと口を挟んだ。「あたしはちゃんと順番を守ってたのよ」
順番って、なにかしら。「ええと、とにかく駅に行きましょ」
「駅？」ミリーが首を傾げる。
「螺旋列車の駅。上に行くための唯一の交通機関よ」
「そんなものがあったの」ミリーは苛立たしげに足踏みした。「もう、都会の人たちってほんとに役立たずね。みんな方向音痴なんじゃない？ 右行って、左行って、あれこれと複雑に説明してくれたあげく、誰ひとりとして同じこと言わなかったわ」
「運が悪かったのよ」エアリスは呟き、彼女の背中を押してウォールマーケットの出口へと促がした。