４ ＩＤ検知エリア
クラウドは八階でちゃんと降りることができた。
ソウムブには例の銀色のドアがいなかったので、倉庫のように薄暗い中を彼はまっすぐ歩いていった。
壁には大きな段ボールが積みあげられ、そのあいだにいくつかのデスクと端末が隠れている。どれも埃だらけで、明かりは点いていない。戸棚やスチール棚が何列にも何連にも並び、クラウドが持たされたファイルよりも遥かに厚いそれらがぎっしりと詰めこまれているようだった。
この神羅ビルって、道は平らなくせしてニブル山よりも複雑な地形してるよな。
クラウドは埃の積もった床をぱたぱたと大股に歩いていった。
そうしてずんずん進んでいくと、やがて小さな蛍光灯に照らされたデスクが見えてきて、そのむこうにひとつの人影があるようだった。
その男はデスクに坐って頬杖をつき、どうやら黒猫としみじみと話しこんでいる様子。
「そうなんや」と猫が喋っていた。「会社が大きゅうなるのは構へんのやけど、やたらと忙しゅうて適わんわ。総務にも手え煩わして、ほんま申しわけないけんどな」
「いやいや」と男は真剣に労わるような目で黒猫を見つめている。「うちは暇なほうや。せやから、リーブさんは気にせんといて、身体、大事にな」
「ほんま、ありがとう」猫は頭に載っている小さな冠を押さえながら、ぺこりと頭を下げた。「ソルジャー部隊と養成施設そろたら少しは楽になるとは思うんやけど、社長のことやからなあ。またぞろ、ジュノンに砲台設置だの、ミッドガルのセキュリティ強化だの、やたら言い出すに決まっとるわ」そこで猫は白い鼻先をクラウドのほうへ向けた。「おや、お客はんでっか？」
「せやな」と男もクラウドへと目を向けてくる。「なにか用か？」
クラウドが近づくと、黒猫はデスクから跳びおりてすれ違っていった。「ほなら、またな」
「ああ、またな」
クラウドは、埃に咳きこみながら遠ざかっていく黒猫の後ろ姿を見つめた。あの猫となら友達になれるかな。でも、変な言葉喋ってたし。
「なんの用だ？」
訊かれて、クラウドは目を戻した。男がちょっと不機嫌な顔でこちらを見つめている。
クラウドが書類を差し出すと、男はそれを取りあげるようにして受け取った。「ああ、英雄さまのお使いか。新設のソルジャー棟の備品の件だな。ご苦労さま」
クラウドはうっかりそこで待ってしまったが、そういえばなにも受け取らなくてよかったんだと思い出し、きびすを返す。
男が彼を呼び止めた。「ああ、そうそう、ついでで悪いんだが、そこに積んであるチップを六十八階まで届けてくれないか」
チップ？
「コルクチップだよ」男は段ボールを指さした。「あそこはモルモットやラットを飼っとるからな。ときどき届けてやらなきゃならんのだが、ここのところ総務部は人員削減の波に煽られて、もう私ひとりしかいないんだ。手伝ってくれないか」
よくわからないけど、この男、そこから動けないんだな。クラウドはダンボールをひとつ抱えこんだ。
「ああ、それひとつでいいよ。持てそうにないしね」
うん。ふたつ以上はちょっと無理だ。「ええと、何階？」
「六十八階、科学部門だ」
三十以上の数字にはちょっと弱いクラウドだった。「う、うん、わかった」
＊＊＊
「始まったわ」カレンが合図した。
螺旋列車がぐるりと最下層を一周し、六番街ステーションにさしかかる頃である。
車内が暗くなり、途端にサイレンが鳴りはじめた。『車内に不審者検出。十秒後に車輌をブロックします』
エアリスは立ちあがり、彼女たちを押し出すようにして隣の車輌へと移る。連結部を通り抜けた途端、背後でドアがぴしゃりと閉まり、ぴーんとロックのかかった電子音がかすかに耳を打った。しかし、その余韻もがたごとと車内にこもる車輪の音にかき消される。
ミリーが両手の荷物をしっかり握ったまま目を丸くしていた。「そ、それで？」
「もう一区画ぐらい、あるわよね」カレンがエアリスに同意を求める。
普段はＩＤ検知エリアなんてものは関係ないから、あまり気にしてなかったけど。「たぶん、五番街ステーションの前かな」
「こんなことでごまかせるの？」ミリーがロックされた扉を振り返りながら、かすれた声で囁いた。
「だいじょぶ。じつは野良猫が乗っててもあのセンサーって働くんだ。暴れてる人がいない限り、調べにも来ないから」エアリスは大きく頷いてみせた。
「野良猫はＩＤなんか持ってないしね」カレンがくすりと笑う。
ミリーが複雑な顔で黙りこみ、エアリスは彼女の肩をぽんぽんと叩いてやった。「つまり、車輌ブロックされるなんてこと、日常茶飯事なの。気にすることないからね」
「そうそう、気にしなきゃならないのは」カレンが通りすぎようとしていた男の腕をさりげなく捻りあげた。「こういうスリだとか、かっぱらいだとかなのよね。検知エリア内は暗くなるから痴漢も多発するわ」
「いででで」スリ男は腕を引っ張りあげられ、手に持っていた小さなものを取り落とした。
それは布にくるまれた小箱のようだった。ミリーが、「あ、あたしの！」と慌てて拾いあげる。
「財布じゃなさそうね」エアリスは彼女の手のものを見つめてから、まだカレンに捕まえられて泣きそうになっている男へ視線を移した。「変なもの、盗(と)るじゃない。なんだと思ったの？」
「いや、単に荷物からはみ出てて、盗りやすそうだったから」
「素人(しろうと)ね」カレンが手厳しく批評した。
「まるっきりの駆け出しみたいね」エアリスも頷く。
「返しただろ、いいだろ、勘弁してくれよ」
あんまりにも情けなく泣き落としてくるので、彼女らは仕方なく彼を解放した。
舌打ちを繰り返し、やたらと外股でぶらぶら歩いていく男の背中を、むっつりと睨みつけるミリー。「都会は油断がならないわ。やっぱりザックスは連れて帰らないと」
「はい？」エアリスは彼女を見おろした。
カレンも眉をあげる。「それはちょっと困るなあ」
「なぜ？」おさげの少女はきょとんとしてふたりを見比べてくる。「だって、迷惑かけてるんでしょ。彼にふた股かけられて泣いてるんじゃないの、あなたたち？ ザックスって昔からオンナタラシだから。それに抜けてて、きっとスリに遭っても気がつかずにいるに違いないのよ」
いや、気がつかないのはあなたのほうで……。エアリスは吐息を抑えた。「うーん、でもねえ」
「あたしたちはザックスにたかり仲間なの。清く正しいおつきあいして楽しく遊ぶのが主旨」カレンがきっぱりと主張した。
「ふた股なのに楽しく遊ぶの？」ミリーは複雑に顔をしかめた。「ＴＶドラマじゃ、ものすごいどろどろの陰湿ないやがらせとかあるじゃない」
「ええと」エアリスはうっかり虚ろな笑みを浮かべてしまった。「そうね、そう……ザックスを思い浮かべてみて。彼にそういうドラマの主役、似合うかしら？」
ミリーは考えこんだ。
だが、なかなか結論が出なかったらしい。「ごめんなさい、七年も前の記憶だから、もしかしたら彼も変わってるのかもね」
ザックスって、昔は昼メロの主役張れるような性格だったのかしら？ まさか、そんなことないわよねえ。
「とにかく、彼に会ってみればわかるわよ」カレンが打ち切る。
そして彼女らはまた、次の検知エリア対策に向けて車輌を渡りはじめたのだった。
＊＊＊
六十七階の隔離室から出て、宝条は颯爽と廊下を歩いていった。
監禁室で二週間、一日一食、それも雑炊とお粥のあいのこのようなものばかりで過ごし、なぜあんなに元気なのだろうと首を捻る警備員たちの様子になど彼はてんでお構いなしに、すたすたと通りすぎていく。
ただただ無駄な時間を過ごした。彼の苛立ちはそれに尽きた。
セフィロスめ、たかだか訓練生のひとりやふたりで色めきおって。わしは本当になにもしとらんぞ。貸し出したサンプルも、広報部がきちんと返しに来るというから放っておいたというのに。管理不行き届きというなら、広報部こそがでたらめではないか。
それに、あの場にクラウド・ストライフがいたなど、まるっきりの偶然だ。なにゆえ、あの役者兼兵士は訓練生の食堂になど行きおったのだろう。おかげで、いらぬ勘繰りを受けてしまう。あの湯たんぽをどうにかする計画もまだ、まったく手をつけておらんというのに。
それにしても、セフィロスがなぜ、あれほど怒ったのかわからん。まさかもう、あれを見つけているのではないだろうな。
だとすれば……急がねばならんか。
いや、いずれにしても1st施術はわしが手ずからやるのだ。問題はない。
クックックと笑いながら彼は階段をのぼり、科学部門のセキュリティドアにカードを挿しこんで部屋に踏み入った。
中央の処置台では、助手どもがラットのケージを挟んでおしゃべりの真っ最中らしい。
彼らは宝条に気づくと、慌てて仕事をするふりをしはじめた。ラットを籠から別の籠へと無意味に移し変えている。
「ラットにストレスがかかるようなことをするな」宝条は助手のひとりを蹴り転がした。
その手から一匹がすっぽ抜け、ころころと床を転がったあと、ぱっと飛び起き、するするとどこかへ逃げていってしまった。むう、あれは確か風疹だか麻疹だかに罹っていたはずだが、まあいい。神羅ビル内のネズミがすべて麻疹にでも罹れば、しばらくは子孫繁栄も望めんだろう。
「ええと、博士」もうひとりの助手がおずおずと口をひらく。「調査課から六十階警備室に出頭してくれと連絡が入っていますが」
「そんな連絡など受けるな、馬鹿者」
「はあ……」
「それにしても」宝条はケージを覗きこんだ。ネズミたちの毛艶は最低、ケージに敷きつめてあるチップも糞尿まみれで、ぐっしょりと濡れている。餌はさすがにきちんとやっていたらしいが、この臭いでは食欲も起きないだろう。「衛生状態がひどいではないか。ここ二週間、おまえたちはなにをしておったのだ」
「総務から、なかなかチップが届かないんです」ひとりがしどろもどろに答える。「もう、とっくの昔に頼んであるのに」
「あそこは縮小されて人手が足りんのだ。たまには自分たちで取りに行くぐらいの運動はしたまえ。ハムスターでさえ、動いていないことに気づかずに延々と走りつづけるというのに」
助手たちは居心地悪そうに身じろぎした。
宝条は手を振った。「まあいい、明日から三人ばかり1st処置に入る。各機器のチェックをしておけ」
助手たちは待ってましたとばかりに奥の部屋へと駆けこんでいった。なにより、宝条の前からとっとと退がりたかった態度がみえみえだ。まったく、どいつもこいつも。
宝条は誰もいなくなった研究室をぐるりと見まわし、ほかに変化がないことを見て取ってから、くるりときびすを返してエレベーターへと向かった。
降りた先は三十階である。監房から出てきたのだから、まずは挨拶しておかねばな。
しぶしぶというようにひらいた銀色のドアをくぐり、その先にある執務室に入れば、セフィロスが茶漉しを持って立っていた。
銀色の英雄はじろりとこちらを見るなり、大きく舌打ちをする。「ちっ、もう出てきたのか」
「かなりの時間をロスした」宝条は呟き、それから眉を寄せた。「相変わらず、英雄ともあろう者が自分で茶を淹れねばならんとはな。わしのことは気にせんでいい。出がらしで構わんぞ」
セフィロスは戸棚からカップを取り出した。「先日、見事に割れたカップをボンドで糊づけしてあるのだ。それで淹れてやろう」
「ほう、カップを放り投げでもしたのか」いつまで経っても子どもだな。
セフィロスは首肯した。「取ってこいを躾けようと思ったのだが、そこまで立派な動物ではなかったのだ」
「なんの話だ」宝条は眉を寄せた。
「なんの話でもいい」セフィロスは湯気を立てている薬缶を持ちあげ、茶漉しをカップに当てて一気に注いだ。「用件はなんだ」
「明日から1st施術に入る」宝条は、そのうちミドガルズオルムを意匠したティーポットをプレゼントしてやろうと考えながら呟いた。「確か、おまえの副官になる予定の者も含まれていたな」
セフィロスはいやそうに顔をしかめる。「あれは内定で、そちらには通達していないはずだが？」
「わしの情報網を甘く見るな」宝条は胸を張った。「おまえの副官になる者については、きちんと調べもすんでいる。1stになるには少々、精神状態がシンプルすぎるが、まあ、問題はない」
「だったら、わざわざここに来る必要はあるまい」
「それでだな」宝条は続けた。「施術のあいだにちょこちょこっと暗示操作して、おまえに従順な仕様にもできるが、どうだ？」
「勝手なことをするな」セフィロスはカップを持って宝条に近づいてくると、目の前でわざとらしくカップをまっすぐ床に落としたものだ。
がっちゃーんと小気味よい音を立てて白い陶器のかけらが床に広がり、そのそれぞれから湯気がもうもうと立ちあがる。
沸騰したお湯をそのまま入れていたようだな。紅茶は蒸らさんとおいしくならんのに。まあ、わしの頭の上で落とさないだけ、まだ機嫌のいいほうか。
「わざわざ面倒な掃除をやる破目になるようなことをせんでも、ストレートにとっとと失せろと言えばよかろうが」
「最近、それでは効果がないように思えてきてな」セフィロスは宝条の前に聳え立った。「それに、片づけは事務官にやらせるから構わんのだ」
「ほう、今度はアライグマでも雇ったか？」
「いや、チョコボだ」
「チョコボはいかんと、あれほど」
「おまえの指図は受けん」
宝条は聳え立つ長身の英雄を恨みがましく睨みあげた。
まったく、どいつもこいつも。
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