10 施術
ザックスは、気がつけば青い海の中にいた。
いや、河か？ なんか、プールっていうより流れの中にいるみたいなんだけど。
彼の両わきを、きらきらとしたものが流れていった。
なんだろう。
でも、おれ、確か神羅ビルにいたと思うんだが。
まあ、いいか。
なんか、気持ちいいしな。
誰かがなにかを囁いているような、かすかなノイズが聞こえてくる。
それさえも子守唄のような快いものに思えた。
自分がでかいものの中にいて、そのでかいもの自身でもあるかのような、そんな感じだ。
だから、自分の身体が自分のものではないような気がするのも、まったく些細なことだった。
おれはおれであって、同時におれは――だ。
？
――ってなんだ？
まあいいや。おれには違いない。
関係ねえよ。
思えば、でかい男になるんだって気分で村を出てきた。
ソルジャーってのがそれを象徴しているもんだと思ってた。
神羅に入って、1stがいちばん強いんだって知った。
だからおれは、1stになると決めた。
1stになって、いちばん強い男に喧嘩売ってやるってな。
うん、セフィロスを殴りてえってのは、結局のところ、やつあたりだ。
混乱したまま、唯一理解できた言葉がむかつくものだったから、わけわからねえうちに殴りかかっちまったんだよな。
それがかわされて、逆に叩きのめされたもんだから、むきになっちまってよ。
いまも、まだずっと、むきになってる。
これからもきっと、むきになったままでいるのかもしれねえ。
それでいいやって、最近は思う。
それはそれで、おれという自分なんだしさ。
そして、おれは強くなる。
世界でいちばん強い男に真正面から認めさせてやれるぐらい、強くなってやるんだ。
ふと、青いきらめきの中に金色のものが混じったようだった。
うん？
ああ、おれ、金色好きだぜ。
嫁さんは金髪碧眼だって決めてるしな。
ああ、あのチョコボ？
いや、あれは男だし。たぶん。
きらきらと金色の光がまとわりついてくる。
だからよう、あのチョコボじゃなくて可愛い女の子にしてくんねえ？
そうそう、青いドレス着てさ。髪は巻き毛で、ああ、ピンクはちょっと印象が相殺しちまうかな。うん、ピンクのリボンも捨てがたいけど、ここは青いリボンだ。
いや、だからさ、どうしてそのチョコボの顔なんだよ。
そりゃ、あいつは白くて小さくて可愛い顔してっけど、違うんだってばよ。
そうそう、女の子でな。
女の子で、嫁さんに……。
ザックスは、ぞくりとした。
なんだよ。
ああ、そうか、最近、嫁さん関連でひでえ目に遭ったばっかりだったっけ。
自重しなきゃなあ。
ああ、目が覚めたらミリーの両親んとこに連絡入れてやらねえと。
まったく、まだ子どものくせに、家出なんて早すぎるよ。
おれだって十六になるまで我慢したってのにさ。
頼むから、カエルともどもおとなしく帰ってくれ。
ザックスは青い波の中に意識を沈めていった。
＊＊＊
助手がモニターから顔をあげた。「注入開始したばかりですが、しかし、あんまり反応がありませんね」
彼らの前にあるポッドの中には青い魔晄溶液が満たされ、ザックスという男が1stソルジャーに生まれ変わりつつあった。
大抵の場合、変化は急激に起こるか緩やかに行われるかのどちらかで、拒絶反応でショック死する者も少なくはない。しかし、この男はどうやらかなり適性がいいか、あまりサンプルとの親和力がないかのどちらかだった。いずれにしても、精神的には正常な状態で目が覚めるだろう。
「そういう者もいる」宝条は素気なく応えた。「一週間、魔晄漬けにしてみて、ちゃんと立ちあがれたら成功だ」
「半分が魔晄中毒で病院入りだという臨床結果、いいかげん公表しませんか」
宝条は眼鏡を押しあげた。「そんなことをしたら、ソルジャー志望の者が減るではないか」
「しかし、事前にある程度適性はわかるようになってきたのですから」
「そんなに施術がいやなのか？」
「そういうわけでは」助手はもごもごと言った。「ただ、失敗作を大量生産するよりは、ピンポイントで選んでおいて成功例の割合を多くするほうが効率的かと」
「ふむ？」宝条は頷いた。「確かにそれは言えているな」
セフィロスからソルジャーを篩(ふる)いにかけろという要望もあったな。一度、検討してみるか。
もうひとりの助手が、ふと首を傾げた。「この被験体、確か自主施術ですよね？」
「それがなんだ」
「フラッシュバックで変な信号が混じっているようなんですが、なにか暗示の指示がありましたか？」
「気のせいだ」
「はあ……しかし」
「魔晄の性質は、わしらにも未知の領域がある」宝条は強引に押し通した。「そういうことも、中にはあるだろうよ」
「はあ……」
＊＊＊
五十五階、セフィロスは薄暗い中へと踏み入った。
ソルジャーたちに合図して照明のスイッチを探させる。もちろん1stソルジャーたちのためではない。彼らはある程度の暗闇でもかなり視界が利いた。明かりを点けるのは迷子たちに彼らの到着を知らせるためだ。
しかし、明かりが点くよりも早く、物騒な唸り声を彼らは聞いたのである。
セフィロスは目を細めた。「カームファングか？」
「こんなところにですか？」誰かが囁くように言った。「神羅ビルですよ？」
「迷いこみでもしたのだろう」どうやってとは訊かないでくれるといいのだが。ああいうモンスターの世界は理屈では説明しようがないからな。
ソルジャーたちがいっせいに警戒を強めたとき、吼え声とともに黒い影が躍りあがった。
それをわずかに身体を傾けることで素通りさせ、セフィロスは正宗を抜き――
間髪を入れずに次に飛びかかってきたものを、彼は斬らずに咄嗟に手で掴んだ。なぜか、そのほうがいいように思えたのだ。
それにしても、二匹もいたとは。
だが、掴んだそれの感触は、どう考えても人間の足だった。
背後ではカームファングの悲鳴と魔法の気配。サンダラとファイガが連鎖し、どさりと肉塊が床に落ちる音で騒動は締め括られた。
と、彼は胸もとに蹴りを入れられる。
こいつは、まさか？
ぱっと電灯が点く。
セフィロスはチョコボを逆さ吊りにしていた。
クラウドは空(あ)いているほうの足でどんどんと彼の胸を蹴りつけている。両手はペンキまみれの彼の服を掴み、腹に頭突きをかけている按配。
「なにをやっているのだ、おまえは」
「あれ？」クラウドはようやく止まった。
逆さまに吊られた状態で青い目をこちらに向け、しげしげとセフィロスの顔を見つめてくるチョコボ。
やがて彼は、非常に納得がいかないというように顔をしかめた。「セフィロスじゃないか。でも、なんで黒くないんだ？」
「尻尾のある人間に塗りたくられたのだ」
「ふうん」クラウドは、ぶらんと力を抜いた。
セフィロスはくるりと彼をひっくり返しながら前へと放る。
きれいに回転して、チョコボは足からおり立った。ふむ、身のこなしは上等だな。まじめに訓練をつけてやってもいいかもしれん。
だが、その前に、取ってこいを覚えてもらわんと。
「とにかく、どうして俺を襲おうなどと馬鹿なことを」
「だって、ルーファウスが強盗だって言った」クラウドは後ろのほうを指さした。「強盗って悪いやつだ」
「嘘つきと、どちらがましかな」セフィロスは示されたほうへと目を向ける。「ルーファウス！ おまえ、俺だとわかっていて、こいつを煽ったな？」
「いいじゃないか」斜めになった壁の陰から白コートの少年が顔を覗かせる。なぜかその薄い色の金髪の上にはネズミが載っていた。「それでやられるような英雄セフィロスじゃないだろ？」
「モンスターまで使いおって」
「使ったのはそいつだよ」ルーファウスはぶんぶんと首を振った。おかげでネズミが驚き、どこかへと逃げ去っていく。「この俺が、そんな野蛮な真似をすると思うか？」
「ダークネイションはけしかけてくるだろう」
クラウドがセフィロスの身体の陰からその後ろのほうを覗きこんだ。「あいつ、死んじゃったのか」
セフィロスはチョコボ頭を引っ張ってモンスターの死骸を見せないようにした。「なにを同情している」
「友達になれたかもしれないのに」クラウドは顔をしかめながら髪の毛を取り返す。
セフィロスは手を放してやった。「おまえはモンスターではなかろうが。自覚しろ」
クラウドはセフィロスを見あげた。
じっと見つめてくる青い目。
「うん」とやがて頷いた。「おれ、モンスターじゃないよ」
セフィロスは溜息を抑えた。正直なところ、モンスターだと言われたらどうしようかと思ったぞ。
「それで」ルーファウスが腕組みしてセフィロスの前に立った。「三十階のテロリストはどうした」
おお、いかん。すっかり忘れていた。
セフィロスはチョコボをわきに抱え、非常階段へと引き返した。
「三十階までおりるぞ。ああ、誰か三人ほどついて、副社長どのを五十八階までお送りしろ」
「セフィロス」ルーファウスが彼の背中に声をかけてきた。「そのチョコボ、あんたのものなのか？ くれよ」
「やらん」
「けち」
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