SOLDIERS

３　お使い

　クラウドはセフィロスといっしょにセキュリティドアをくぐった。
　手にはファイルという厚紙を折りたたんだものを持っていて、もういっぽうはリードするセフィロスに引っ張られたままだ。
　今日は、いろんなことをやる日だなとクラウドは考えた。
　端末ってやつと挨拶したんだ。あの箱は動きはしないけど、顔がくるくる変わる。トウモロコシみたいにプツプツの並んだ板を適当に指で叩くと、ピッピピッピ叫ぶんだ。そのたびに画面には『入力ミス』って文字が浮かびあがるんだけど、意味がよくわからなかった。
　セフィロスはたぶん、あの叫び声がうるさかったのかな。「もういい」と言って、あの箱を黙らせちゃったんだ。
　そしてお使いに行ってこいと言って、このファイルを渡してくれた。
　それにしても、この階を出るときにはいつも、セフィロスはこうやって扉まで連れてきてくれるんだ。おれだってもう、エレベーターとのつきあいかたは覚えたのに。きっと、おれがこいつと喧嘩すると思ってるんだろう。
　おれ、腕のないやつとか、口のないやつとかは怖くないぞ。だから喧嘩は売らないんだ。それにこいつ、すごく利口だから、ドアのあいだになにかあるときには、ちゃんとそれがわかってる。おれ、こいつに咬まれたことは一度もないもん。
「いいか」とセフィロスがエレベーターのボタンを押しながら繰り返し言った。「総務部には話を通してある。おまえはそのファイルを部屋にいるやつに渡せばいいのだ」
「それで、なにをもらってくるんだ」
「おまえは、なにも受け取らなくていい」セフィロスはゆっくりと言い聞かせるように言った。「ぐずぐず待ってるようなことはせんで、ファイルを渡して用がすんだら、すぐにここへ帰ってこい。いいな？」
　クラウドは頷いた。「そうか、お届けものってやつだな」
「……そうだ」
「ソウムブに行ったらファイルを渡す。なにも受け取らなくていい」クラウドは念のために復唱してみせた。
　セフィロスはじっとこちらを見おろしながら、ちょっとのあいだ確認するように口の中で小さくなにか言葉を繰り返していた。「うむ、間違ってはおらんな」
　エレベーターの扉がひらくと、クラウドは中に放りこまれた。
「お使いぐらい、きちんとできるだろうな？」扉が閉まるそのあいだからセフィロスがしつこく訊いてくる。
　むっ。
　クラウドはちょっとだけ頭に来た。おれ、ニブルヘイムでもちゃんと母さんのご用はやりこなしてたんだぞ。山に行って木の実を拾ってこいとか、牛をおとなしくさせろとか、迷子のスピードサウンドを山に返してこいとか、いっぱい仕事言いつけられたんだからな。
　扉が完全に閉まり、いまではもう、おなじみになった浮遊感がクラウドを包んでくる。彼は急いで床に手をつき、その心もとなさを必死でこらえた。
　どうでもいいけど、もうちょっとゆっくり動いてくれないかな。おれ、あんまりいい気分じゃないんだ。
　海に浮かぶ箱みたいに揺れもしないし、トラックみたいにあの断続的な振動があるわけでもないからまだましだが、頭に血が昇るような感覚には、いまだ慣れないクラウドだった。
　しかし、それほど長いあいだ我慢せずともエレベーターは一階に到着してくれる。
　クラウドは立ちあがり、エレベーターが、『一階でございます、神羅本社受付中央ロビーがございます』と言ってドアがひらく。
　お礼を言ってから、クラウドはつるつるの床にまろび出た。
　そして、あたりをきょろきょろする。
　ソウムブって、どこにあるんだっけ？　聞いてくるの、忘れたよ。
　クラウドはまっすぐ受付へ走った。
　いつものお姉さんが青ざめた笑顔で迎えてくれる。「今日はなにかしら？」
「こんにちは、ソウムブ、どこ？」
「八階よ」
「エレベーターに頼めばいいのか？」
「そうよ。もう、ひとりで乗れるでしょうね？」
「うん、頑張る」
　クラウドはまたエレベーターに突進した。

＊＊＊

「ＩＤカード、もらってないの？」エアリスは自分のカードをセンサーに撫でつけながら列車の扉をくぐった。デッキにあがってから振り返り、おさげ髪の少女を見おろす。「外から来たんなら、ゲートくぐるとき、書類審査のうえ、もらえるはずだけどな」
　列車墓場駅と呼ばれるそこは、地上と街とを結ぶ螺旋列車の最下層の駅だった。
　終着駅と言えば聞こえはいいが、周囲には廃車や使えなくなった列車車輌でバリケードを張った空き地ばかり。錆びた鉄くずがいまにも崩れそうなほど積みあげられているので、子どもが遊ぶには危ないからと、いちおうの十字鉄線が引かれている。ただ、幽霊が出るという噂があって、物好きなカップルがときどき夜を明かしているらしい。
　そんな店も公園もない寂れた場所ではあるが、さすがにこのあたり唯一の駅だけあって人出は多かった。毎朝毎夕、通勤、買いもの、商売など、さまざまな人々がこの駅を利用する。昼間はそれほど混雑はしないが、それでもたったひとりの駅員さんでよく整理できるなと感心するほどだ。
　そうしていろいろな人がこの列車に乗りこみ、列車は各区画をめぐりながら上へ上へと螺旋状に走っていく。ぐるりとミッドガルの中を何周かしてから、八番街まで到達しているのだ。
　彼女らはその途中の駅、五番街ショッピングモールで降り、ザックスを待ちかまえようということになっていた。神羅の本社ビルに突撃をかけてザックスを呼び出してもらえば確実かもしれないが、カレンが〇番街には神羅ビル以外なんにもないと文句を言ったこともあって、繁華街でウィンドーショッピングでもしながらということになったのだ。
　エアリス個人としては、そのほうがありがたかった。彼女にとって神羅本社ビルはなにかと不吉な場所である。
　ところが、列車に乗る段になって、家出少女ミリーがカードなんか持ってないわと威張ったのだ。「書類審査なんて、そんなものやってないわよ。だいたい、家出だって、すぐばれちゃうじゃないの」
　あ、ほんとに家出してきたんだ。エアリスはデッキのバーに掴まりながらそっと溜息をついた。
　でも、変ね。ザックス、そういう家出娘見つけると、どちらかといえばお尻叩いて家に帰すほうだけど。ちゃらんぽらんに見えて、結構、そういうところはしっかり古風だし、常識的な人なのよ。
「キャラバンで来たんでしょ。それなら書類審査はないけど、代表者がまとめてもらって、みんなに配るはずよ」カレンが眉を寄せた。「じつはわたしも家出人だけど、ここに着いたときに仮ＩＤをもらったわ。それで、十五歳になって誰も文句を言わなくなってから本登録したの」
「知らないんだってば」ミリーは苛立たしげに叫んだ。「トラックが止まったから着いたんだと思ったの。解散するのはあたりまえでしょ。キャラバンの料金は前払いだったし。それにしても、安全保障金だの参加料だの、ぼったくるわよね」それからミリーは疑わしげに駅と列車を見まわした。「じゃあ、ここはミッドガルじゃないわけ？」
「うーん、そうじゃなくて」エアリスは苦笑した。「ここもミッドガルといえばミッドガルなんだけど、みんなが大都市って言ってるのはこの上なの。ここはスラムで、列車を使うにもＩＤがいるから、持っていない人は上に行けないシステムになってるのよ」
　どの駅であれ、改札というものは存在しない。列車に乗るさい、入口でセンサーにカードを通すだけでいいのだ。運賃はＩＤをもらったときに自動的に開設されるネット口座から自動的に引かれていくので、極端な話、カードさえ持っていればどこででも買いものが自由にできた。そしてその口座は、神羅社員でなくとも、年に一度、きちんと所得申請をしておけば保たれる。
「差別だわ」ミリーは泣きそうになって、トランクに凭れるようにしゃがみこんだ。「やっぱり都会って冷たいのね」
「ええと、そういうわけじゃなくて」
「しょうがないわね」カレンが彼女を立たせて列車に押しこんだ。「例の手で行きましょう」
「例の手って？」ミリーが押されながら不安げに訊ねる。
　カレンは、しっ、と指を唇に当てた。「大きな声で言えないんだけどね。各区画を通過するときのＩＤ検知システム、じつは割合と簡単に回避することができるの。ただ、ちょっとスリルはあるけどね」
　最後尾の車輌に三人が入りこんだとき、がくんと列車が揺れた。
　エアリスは空(す)いている車内をぐるりと見まわす。「接続が終わったみたい。出発するわよ」
　動きはじめたため、揺れる車内でもたつくミリーをカレンが引っ張って支えてやった。「少し時間があるから、そこのモニターでミッドガル案内してあげるわ。いらっしゃい」
　ドアわきにあるディスプレイにはミッドガル全体の略線図と構造図が収まっている。もう、すっかり頭に入ってしまった住民にはあまり用のないものだが、旅行者にとっては、これからどこに行こうとか、どこで降りればいいのか、意外と便利な指標になっているようだった。
　ところが、その車輌のモニターはひとりの女の子に陣取られていた。ミリーとほぼ同じくらいの年齢の子で、保護者もなにも見あたらないところをみると、スラム育ちの浮浪児だろう。
「ごめんね、この子にも見せてくれない？」カレンが彼女に声をかける。
　なによという目で振り返った彼女は、むっつりとして言った。「あたしはこれを見るのが毎度の楽しみなの。こういうハイテクな画面、好きなんだもん」
「うん、でも、公共のものだし」
「仕方がないな」呟いて、彼女は前の車輌へと移っていった。
　カレンとミリーがモニターに取りついたのを見ながらエアリスは座席の端に坐りこんだ。横には男がひとり寝転がっている。
　その彼が目だけをこちらに向けてきたので、エアリスは、「こんにちは」と言った。
「おう、ここは俺んちだ、ゆっくりしていけ」
「ありがとう」
　がたがた、ごとん、と心地よい低い音を響かせながら列車は速度をあげはじめていた。小刻みに揺れる吊り革、窓を過ぎ去ってゆく鉄骨とコンクリートのトンネル。そういえば、曇り空以外、しばらく景色を見てないなあ。
　今度、みんなでピクニックでも計画しようか。ザックスを引きずりこめば多少のモンスターぐらいなんとかなるでしょ。いちおうソルジャーだもんね、そのくらい頼ってもいいと思う。だいいち、バナナパフェを奢らせるくらいしか利用価値がないなんて、ちょっと情けないわよ。
　それに、とエアリスはバスケットの中の青いワンピースを見おろした。例の金髪の彼女、そのときには絶対、ご尊顔を拝ませてもらうんだから。
　列車は螺旋線路をのぼりはじめていた。