SOLDIERS

５　弱点

ザックスはとっとと仕事を切りあげ、五番街はいつものカフェでくつろいでいた。
　表通りにあるくせに大抵、テーブルが空(す)いている店なので、昼寝には最適なのだ。ウェイトレスは素気ないが、マスターはときどき皿やカップを飛ばすというユニークなことをしてくれる。うっかり本気で居眠りしても、その陶器の壊れる音で目が覚めるのでちょうどいい。
　曇り空は相変わらずの、今日もミッドガル日和だった。ランチタイムはそろそろ終了する時間で、買物客やツァー団体客が小間物屋に殺到しはじめる頃。
　ああ、この風景ともしばらくお別れか。
　なんで入院しなきゃならねえんだろうな。2ndになるときは、食事制限はあったものの、いろいろと錠剤やらカプセルやら飲まされ、一日数時間の魔晄照射を五日間繰り返しただけだ。1stともなると、やっぱり手順も規模も違うのかね。
　病室に白衣の天使がつきっきりでいてくれるなら構わねえけどさ、そこはやっぱ軍病院。世話係に宛がわれるのはどうせ、むくつけき軍曹かなにかだろう。軍服姿の男にベッドのまわりをうろうろしてもらいたくはねえんだけどなあ。
　まあいいや、一週間、白い監獄に入って我慢してりゃ、晴れて1stソルジャーになれる。たぶんな。
　ああ、ちくしょう、「こればっかりは体質だ」なんて言われた日には、なんのために猛勉強して試験受けたんだかわかりゃしねえよ。そりゃ、勉強らしい勉強なんてマテリア種類の丸暗記ぐらいだけどさ。
　とにもかくにも、今日は監獄に入る前の最後の一日だ。せっかくだから、可愛い子が目の前を通りかかんねえかなあ。
　などと埒もないことを考えていれば、さっそく三人娘がそろってこっちに来るところだ。エアリスに入院日を伝えておいてよかった。なんのかんのと、やっぱり名残を惜しんでくれるってわけだ。
　あれ？　エアリスとカレンと、あとは誰だ？　なんであんなお子さまが混じってるんだろう。
「ハイザックス」カレンがさっそく隣に座を占めエアリスが反対側に坐る。そして最後のひとりはテーブルにどっかりと荷物を置き、キャリアーに乗せたトランクにストッパーをかけ、ザックスの正面に堂々と腰をおろした。
「とりあえず」カレンがウェイトレスを呼ぶ。「いつものやつにアーモンド・オ・レね。それからチョコレートサンデーにバナナパフェ、アイリッシュコーヒーとブラマンジェ、エアリスは？」
「プリンサンデーとフルーツケーキ、蜜豆あるかな。じゃ、それとワッフルはストロベリージャムとアプリコットね」
　おいおいおい。ウェイトレスちゃん、覚えきれねえぞ。
「あたしは」と最後に新参のお子さま。「豆大福に昆布茶でいいわ」
「そんなのでいいの？」エアリスが驚いたように目を丸くした。「どうせ、ザックスの懐から出るんだから、もっと遠慮なく注文していいんだよ？」
「いや、このミッドガルじゃ豆大福と昆布茶がいちばん高いんだけど」ザックスはぼそりと小声で呟いた。
　その呟きは誰もが無視してくれる。
「じゃあ、追加して栗羊羹」と彼女は言った。
「あんた、ウータイ人？」ザックスは正面の彼女のほうへと身を乗り出した。「それにしちゃあ、髪は赤っぽいし、あの民族の女の子には見えないほど骨っぽいし」
　小粒で可愛い鼻だが、えらの張ったそばかすだらけの顔に、髪は田舎くさいおさげ髪。おそらく毎日はブラッシングしていないだろうと思われるそれは、陽に灼けて薄くなったところを除けば濃い茶色だった。
　Ｔシャツにデニムパンツ、同色のジャケットはすり切れ、大荷物を見ればおのぼりさん。そしてまだまだお年ごろにはほど遠い十二、三の少女である。
　彼女はじろりと彼を睨みあげた。「あたしが誰だかわからないっていうの？」
「はい？」ザックスはまばたいた。前に会ったか？　すまんけど、憶えがねえぞ。
「ミリーっていうんですって」エアリスが囁いた。
「ミリー？」ザックスは顔をしかめた。「ミリーっていやあ、三番街にいたけど、もっと年食った商売女だぜ」
「そういうところにも行ってるんだ」エアリスがウェイトレスからプリンサンデーを受け取りながら、軽蔑の視線を送ってくる。
「いや、ダチに誘われて仕方なくだな」
「いずれにしても、記憶にありませんってことらしいわよ」カレンが少女に向かって両手を広げてみせる。「薄情よね」
　昆布茶と豆大福が目の前に置かれても、彼女はじいいいいっと彼を睨みつけていた。
「あのさ、悪いんだけど、もう一度言ってくれる。どこの誰？」ザックスは訊ねた。
「ゴンガガのミリーよ」
　………。
　ザックスの脳裏に緊急警戒警報が鳴りはじめた。「ゴンガガ？」
　少女はゆっくりと豆大福に手を伸ばし、あーんと口をあけ、ぱくりと食いついた。
　そのまま、また睨みつけてくる。
　なんか恨まれてるのか？
　てか、ゴンガガなんてもう、七年も帰ってねえぞ。故郷があるってことも忘れかけてたってのに、人違いじゃねえのかなあ。
　彼女は無言のまま、もぐもぐと大福を口の中に押しこんでいき、最後にごっくんと飲みこんだ。昆布茶を引き寄せ、ひとくち、ずずっとすする。
　そして落ちついたというように背筋を伸ばし、軽く深呼吸した。「あたしはゴンガガのミリー」と繰り返す。「ザックスは、あたしをお嫁さんにもらってくれるって言ったわ」
　ザックスの頭の中の警報がさらに大きく鳴り響き、横ではエアリスがデザートスプーンを握ったままテーブルに突っ伏していた。
　カレンが噎せそうになるのをこらえているらしい。「ザックス……あなた……」
「ちがあう！」彼は慌てて手を振った。「なんかの間違いだ、人違いだ、おれにそんな憶えはねえ！」
「どうだか」カレンは素気なく呟き少女に向きなおった。「そのとき、この人、酔っ払ってなかった？」
「いいえ」ミリーという少女はきっぱりと首を振る。「それどころか、親父さんに殴られて木に吊るされて泣いていたのよ」
「泣いてねえ！――おおっ？」叫んでから、やっと記憶がまざまざとよみがえってくる。「そうか、薬屋の赤ん坊か、初めて名前を知ったぜ」
「赤ん坊とは失礼ね！」ミリーのそばかす顔が、かっと赤くなる。
「だって、あんた、五歳だっただろ」ザックスはちょっとだけ安心して彼女に指を突きつけた。「ああいう頃の子どもには、ちょっとしたおちゃめでそういうこと言うんだよ」
「冗談じゃないわ。あたしにとっては一生ものなのよ！」昆布茶の茶碗をどんとテーブルに叩きつけるミリー。
「そうよね」となぜかエアリスまでしみじみと頷いている。「お嫁さんて言葉は神聖なものなんだから。どうしてこう、男の人って気軽に口にするのかしら」
「いや、だからよう――」
「五歳の女の子ひっかけるなんて、罪なことするわよね」カレンがザックスを遮った。「どうせ、なにかに困ってて、ミリーを騙して利用したんでしょ」
　うっ、そういう言いかたされると……。
　わああ、とミリーが両手で顔を覆う。「ひどいわ、さんざん利用したあげく、ひとりで村を出てっちゃって、すっからかんに忘れられて……あたしがどれだけ待ち焦がれてたと思うのよ」
「おまえら、遊んでねえ？」ザックスは脱力感を支えながら呟いた。
「あら、真剣な話よね」
「そうよね」
「でも、いいの」ミリーは顔から手を外し、荷物からごそごそと小さな宝石箱ぐらいのものを取り出した。紺色の布にくるまれている。「あたし、これでも鷹揚に育ったのよ。もう、結婚に理想はいだかないことにしたの。だから、これを受け取ってくれたら無罪放免にしてあげるわ」
　そうして布切れに包まれ、怪しげに中身を見せないよう隠されたそれを差し出してくる。
　ザックスが疑わしげにそれを見つめていれば、ミリーはにっこりと笑った。「大丈夫、ただの七年ぶんの仕返しだから」
　仕返しって、おれ、そんなに悪いことしたのか？
　そりゃ、騙したとも言えるかもしれねえけどよ。なんでそんなこと、しつこく憶えてるんだか。
「なあ、そのためにわざわざここまで来たのか？」ザックスは訊ねた。「親がよく許したよな。あの薬屋の女将さん、すっげえ怖かったぜ？」
「許すわけないでしょ。あの村、ほんっとに閉鎖的。家出する以外に出てくる方法があると思って？」
「げっ」それじゃ、久しぶりに手紙でも書いて連絡しなきゃならねえじゃねえかよ。
「なによ」ミリーは不満そうに口を尖らせた。「あんただって家出したんでしょ。親父さん、すんごく怒ってたんだから」
「へえ」とカレンが頬杖をつく。それ以上、なにも言わず、それでも物言いたげな目でザックスを見つめながら、ぱくりとアイスクリームを食べた。
　エアリスもチェリーをもごもごしながら頷く。「ザックスも、結局はただの不良少年だった、そういうわけなのね」
「誰しも若い頃ってのがあるんだよ」
「うわー、年寄り」
「若くないわね」
「勘弁してくれ」
「だから」とミリーが箱をさらに押してくる。「ほら、これを受け取ってちょうだい。それでご破算にしてあげるんだから」
　本当だな？　ザックスはそろそろと手を伸ばした。
　しかし、それに指が触れるか触れないかのうちに、昔懐かしい、田園風景にとてもぴったりな両生類の鳴き声が聞こえてくる。
　ザックスの手が痙攣を起こした。「……あのよう」
「なあに？」にこにことミリー。
　うう。わかっててやってるんだな、こいつ。おれの弱点をこのガキんちょに話したのは誰だよ。親父か？　おふくろか？
　ああ、せっかく別世界のことだと忘れていたのに。
　どうする、掴めるのか？　それとも無視するか。いや、無視すればこのミリーのことだ。しつこく、つきまとってくるに違いない。あの村の住人って、そういうところだけは根性入ってるんだよな。
　しかし、しかし、しかし！
　緊張の一瞬だった。
　長い長い、それは長い一瞬だった。
「だめだ！」ザックスは絶叫し、椅子を蹴って逃走した。「許してくれええ！」
「あっ、待ちなさいよ！」ミリーが叫び、あとを追ってくる気配。
「しょうがないわね」エアリスが呟き、カレンが店のほうに向かって叫んだらしい。「マスター、今回もつけね。もちろんザックスによ」
　もう、つけでもなんでもいい、おれは、あれだけはいやなんだ！
　ザックスは必死で逃げた。

＊＊＊

　クラウドは眩暈をおぼえながらエレベーターから降りた。
　三十階を往復するのとはわけが違って、六十階ぶんもエレベーターに乗っているとさすがにつらい。
　いささか平衡感覚を失調しながら、彼は段ボールを抱え、引きずり、蛇行しながら銀色のドアにぶつかった。
　おでこにひんやりとした感触をおぼえ、またこのドアかと考える。おれ、六十八階に来たんだよな。三十階とそっくりだけど、ほんとにここでいいのか？
　そしてクラウドはドアに凭れたまま、それがひらくのを待った。
　ずっと待った。
　やっぱり三十階とは違うみたいだ。あのドアは最近、おれのこと覚えてくれたから、大抵、すぐにひらくもん。こっちのは、はじめましてから始めないとだめなんだな。
　クラウドはさすがに疲れたので、その前に坐りこみ、銀色のドアをじっと見つめて相変わらずの求愛を続けた。
　やっとドアがひらいた。
　段ボールを抱え、坐ったまま見あげれば、白いコートの少年が立っている。金色の髪に薄い青い目をしていて、十六、七ぐらいだろうか。もっとも、クラウドはまだ人間の年齢を判断することに慣れていなかった。
　相手は両手をドア枠に突っ張り、こちらを苛立たしげに見おろしてきている。「さっきから、しつこくいるようだが、なんの用だ」
「これ、届けものだ」クラウドは、ぽんぽんと段ボールを叩いてみせた。
　相手はそれを一瞥した。「こんな荷物のことなど聞いていないぞ」
「ここ、六十八階だろ？」
「五十八階だ」
　クラウドは、いち、にい、さんと指を折った。「……四の次って、五だったっけ？」